日本人クルー紹介: 西村一広 …
日本人クルー紹介: 西村一広 氏 Vol. 02
日本人クルーのご紹介:2001年のホクレアとの出会いときっかけに、2007年のホクレア日本航海をサポートをされてきた西村一広氏。ホクレアとの出会いについてお話しいただきました。
日本人クルーのご紹介:2001年のホクレアとの出会いときっかけに、2007年のホクレア日本航海をサポートをされてきた西村一広氏。ホクレアとの出会いについてお話しいただきました。
西村一広 氏 プロフィール
プロセーラー/東京海洋大学講師(海洋工学部) 有限会社コンパスコース 代表取締役/一般社団法人うみすばる 代表理事
https://compasscourse.jp/
2001年のホクレアとの出会いときっかけに、2007年のホクレア日本航海をサポート。その後、2009年パルミラ環礁航海の復路にサポート艇カマヘレクルーとして、そして、2008年〜2013年には断続的にハワイ周辺海域でトレーニングに加わり、2015年ホクレア世界一周航海のインド洋横 断レグにクルーとして参加。
ホクレアとの出会い
ニュージーランドでのアメリカズカップが終わった後も、ニュージーランドをベースにヨットの仕事をしていたのですが、日本の葉山に帰るたびに日本オリジナルのセーリング文化、海洋文化についての勉強を続けました。
その頃、海洋ジャーナリストの内田正洋さんを通じてタイガー・エスペリを知りました。その頃のタイガーは鎌倉に住み、日本で日本の子どもたちにハワイの海洋文化、航海文化を教えるためのカヌー「カマクラ」建造のために奔走していました。私も非常に微力ではありますが、それを手伝うことにしました。
カマクラ建造に協力することを約束してくれた日本人ヨットデザイナーと西伊豆松崎の造船所の社長をお連れして、タイガーと内田さんと一緒に2001年にハワイ島に行き、ヒロに停泊中のマカリイを見学したり、そのクルーたちに紹介されたりしました。ホクレアの日本人クルーの内野加奈子ちゃんと会ったのも、その時だったでしょうか。
そのときのハワイ行きで、初めてホクレアを見て、オアフのハワイカイからマウイのラハイナまで、ホクレアでの航海を初めて経験しました。その海は、ぼくもほとんど毎年ヨットレースで走る海で、よく知っているはずの海でしたが、近代型のレーシングヨットでの忙しいセーリングとは違って、チャンネルを静かに渡る素晴らしく神秘的な夜航海でした。
その後、ホクレアの日本航海準備に協力したり、プロの日本人セーラーとして日本国内レグの水先案内をしたりと、ある意味、淡々とホクレアとPVSと関わってきました。ホクレアの日本航海が終わった後は、ポマイラ環礁からオアフ島METCへの帰りの航海(この航海はサポート艇カマヘレに乗艇)や、後の世界一周航海のクルーになるためのハワイ周辺海域での複数回のトレーニングや、インド洋横断レグに乗せてもらいました。多くのクルーの皆さんと同様、素晴らしい体験をさせてもらいました。
その中で、最も印象に残っていることは、航海中のことではありません。前回のホクレアの日本航海で水先案内として関わっていたときの、広島での出来事です。
広島の観音マリーナにホクレアが停泊中のある日、ナイノアから、「元安川を遡って原爆ドームの前までホクレアを曳航することはできないだろうか?」と相談されました。原爆ドームの前にホクレアが浮かび、セールを開く。その光景が目に浮かび、ナイノアだけでなく、ホクレアのリーダーチームも、ぼくも、大変興奮しました。いくつかある橋の下をくぐる時の高さがマストを倒したホクレアが通れる高さか? 川の水深は充分か? などをつぶさに調べた結果、潮時を選べば実現可能、ということになりました。
それでナイノアがクルー全員にこの計画を伝えました。私はみんなが大賛成して喜ぶものだと決めつけて、それを聞いていました。
ところが、若いクルーの一人が、「それは本当に日本の人たち全員が望むことだろうか? 喜んでくれるだろうか? これをやる前にちゃんと日本のたくさんの人たちに意見を聞いてみなければいけないのではないか?」と発言したのです。
その発言でぼくは初めて、この行動が「政治的」意味合いを含んでしまうことに気が付きました。ドキンとしました。常々ホクレアを政治的なことには使わないと決めていたナイノアも即座にそれで気がついたようです。
それはとても長いミーティングになりました。そしてその若いクルーの、広い視野を持ったこの発言のおかげで、この計画は中止と決定されました。
人生経験が長いはずの私たち世代が、若い世代に、危ないところで救われたのです。そのことに、今でも大変感謝しています。また、若い世代に教えられることに、深い喜びがあることも知りました。
ホクレアの活動と航海は、こういうしっかりした考え方ができる、ハワイが誇るべき若い世代を育てることができるのだと知りました。
自分たち自身の文化に矜持を持つ新世代を、海と航海で正しく育てることは、決して国粋主義者を産むのではなく、他者の文化にも同様の敬意を払うことができる、広い視野を持つ新世代を育てることにつながっていく。
これはもう、本当に、ぼくがホクレアから学んだ最も大きなことです。
ぼくの世代の日本人には特に、かもしれませんが、若い世代の意見を軽んじる傾向があり、年配者が自分たちの意見を年少者に押し付けることがよくあります。ぼくの周囲にもそのような同世代がたくさんいます。そういう人たちが、ぼくが広島で、ホクレアで経験したのと同じような、目が覚めるような経験をさせてあげたいな、と思います。