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帰ってきたペペイアオ…

帰ってきたペペイアオ

2022.03.01

2007年5月、ミクロネシア・日本航海の中でハワイから周防大島にやってきたホクレア。クルーの一人、カウアイ島出身のケアラ・カイは壊れてしまった船のマストの部品「ペペイアオ」を修理できる人を探していました。通訳ボランティアのJunko Nishidaさんは、この地に住む木工師の故・藤井良嗣さんと出会います。

2007年5月、ミクロネシア・日本航海の中でハワイから周防大島にやってきたホクレア。クルーの一人、カウアイ島出身のケアラ・カイは壊れてしまった船のマストの部品「ペペイアオ」を修理できる人を探していました。通訳ボランティアのJunko Nishidaさんは、この地に住む木工師の故・藤井良嗣さんと出会います。

2007年5月、ミクロネシア・日本航海の中でホクレアがハワイから周防大島にやってきました。

航海のテーマは「One Ocean, One People ひとつの海でつながれた、ひとつの民」。

ハワイから、ミクロネシアの島々、沖縄から九州を経て周防大島へ。

 

周防大島へ訪れたホクレアですが、実は航海の途中で帆を支えるマストの部品、ペペイアオが壊れていたのでした。

ホクレアのクルーはその部品を修理できる人を探しました。その中で運命的に出会ったのが、椋野地区にある藤井木工の故・藤井良嗣さんでした。藤井さんは二つ返事で新しいペペイアオを作ることを承諾しました。クルーの一人、カウアイ島出身のケアラ・カイはその時をこう振り返ります。

「周防大島に寄港する日、ペペイアオが壊れていることに気づきました。日本での航海を続けるため、このペペイアオを直す、という仕事が私に託されました。クルーの仲間から、この地域に住んでいる木工師がいると聞き、名前も場所もよくわからないまま、ステファニー(クルーの一人)とジュンコ(通訳ボランティア)とともに彼を探しにいきました。」

 

3人は、何かに導かれるように藤井木工にたどり着きました。そこには、前の日にホクレア号の乗船体験で見かけた元気なおじいさんの姿がありました。ケアラがペペイアオのスケッチを描くと、「よし、やっちゃろう。」とさっそく部品作りにとりかかりました。時間が限られている中で藤井さんはマジックのように見たこともないペペイアオを作りあげました。

出来上がったペペイアオをヤスリにかける姿を見て、ケアラは泣いていました。それは、ケアラのおじいさんと藤井さんが重なって見えたからです。いのちを込めて作る、そんなもの作りの姿勢は、国境を越えて人の心を揺さぶりました。

ケアラはこう続けます。

「藤井さんのペペイアオなしに日本の航海はできませんでした。ハワイへ帰ってからも、ホクレアは藤井さんのペペイアオと共に幾度もの嵐を乗り越えました。それはホクレアに受け継がれる財産となっています。みなさんの愛と思いやりの気持ちを受けたからこそ、ホクレアは今も航海を続け、海から島々を見つけることができるのです。」

 

ホクレアは日本航海を終えたのち、藤井さんのペペイアオと共に、世界航海の訓練航海でハワイ諸島を巡り、遠くは太平洋のパルミラ環礁まで航海しました。

そして、2010年から3年間ホクレアは、2014年の世界航海のために、大規模な補修作業を行いました。その中で、藤井さんのペペイアオをケアラは大切に保管していてくれました。そして、ホクレアに新しく着けられたペペイアオは従来のものよりもより藤井さんのデザインに近いペペイアオになったとのことでした。

国も文化も違う中で起こった奇跡。しかしそれは「ひとつの海でつながれた、ひとつの民」という言葉が表すように、思いやりや、いのちを大事にする「心」が皆の中にある、ということを証明するようでした。ホクレアは2014年から世界航海の旅にでました。航海のテーマは、「Mālama Honua~地球を大切にする」です。地球というひとつの星にすむ私たちがこれから生きる道。ホクレアが周防大島に残していった奇跡は今も私たちに語りかけています。

 

次回の記事は引き続き2007年のホクレアの日本航海での周防大島寄港がもたらした軌跡を追っていきます。お楽しみに。

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