日本人クルー紹介: Saki …
日本人クルー紹介: Saki Yamamoto-Uchida氏 Vol. 01
日本人クルー紹介: 2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学び、ホクレアの世界一周航海に参加した Saki Yamamoto-Uchida氏。彼女をそこまで魅了したホクレアについて「私とホクレアとの出会い」についてお話頂きました。
日本人クルー紹介: 2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学び、ホクレアの世界一周航海に参加した Saki Yamamoto-Uchida氏。彼女をそこまで魅了したホクレアについて「私とホクレアとの出会い」についてお話頂きました。
Saki Yamamoto-Uchida 氏 プロフィール
2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学ぶ。2008年から2011年は航海・ナビゲーショントレーニングでハワイの島々を航海した後、2012年にヒキアナリア処女航海でニュージーランドータヒチーハワイ航海を経験。その後ホクレアの世界一周航海に参加。現在はニュージーランドで子育てをしながら、ニュージーランドの伝統航海カヌープロジェクトに参加している。自然豊かで、家族が祖先代々住んできた土地に住み、マラエ(マオリの集会所といわれる建物)を見守りながら、今よりもいいものを次世代に残せるように、持続可能な生活をしている。インスタグラム@sakiuchida
私とホクレアとの出会い
私が初めてハワイの伝統航海カヌーホクレアと出会ったのは2007年、高校3年生の春だった。当時、周りはみんな進路を決めていて、私も沖縄の大学に行きたいと思っていた。
そんな時、父が私に「ホクレアっていうカヌーがハワイから来た。見に来いよ。」と教えてくれた。それまでもホクレアという名前は父や母から度々聞いたことがあったし、私がまだ小学生の時、ホクレアの航海術師のナイノア・トンプソンがうちに来たこともあった。父が親しくしていたハワイ人のおじさん、タイガー・エスペリもホクレアのクルーだった。
でも特に興味を持つということはなくて、父が何かカヌーのことをしているなぁぐらいの認識だった。今おもうとちょうどその頃の私は、進路は決めていたけど、どこかで引っかかった気持ちがあったのだと思う。
物心つく前から海は当たり前のように私の生活の中にいてくれた。一人でも海で遊んでいたのを覚えている。だから年中肌は焼けていて、子供の頃はよく友達にいじられたけど、正直全然気にならなかった。焼けているほうがかっこいいとさえ思っていた。
海が大好き。生涯海に関わることがしたい。それはずっと心の中にあったけれど、どうやって関わりたいのかがはっきりしなかった。海のスポーツも、生き物も、浜辺で拾うものもなんでも好きだった。だからとりあえず沖縄で海洋生物について学べる大学に行こうと思っていた。
父からホクレアは自然を頼りに、コンパスもGPSも使わずにここ、日本まで来たと聞いた時、かっこいい!!!そんなことができるんだ。ワクワクが止まらなくて、どうしても見たい!と思ったのを覚えている。
そして、大学進学には欠かせない前期の試験を全てすっぽかし、(私は怒られると思って、先生にも言わずに行ったと思っていたけど、実は母がちゃんと先生に伝えていてくれて、先生はそれは行った方がいいと応援してくれたことを後から知った。私はホクレアが寄港している宇和島に一人で向かった。宇和島で出会ったホクレアは私が思ったよりも小さかった。このカヌーに十数人のクルーを乗せて、大海原を越えてここまで来たんだと思うと、かっこいいという言葉ばかりが出た。
クルーたちはみんなスーパーヒーローのように見えた。その頃はホクレアの背景もハワイの歴史も全く知らなかったから、そんな単純な言葉しか私の頭にはなかった。そこから確か一週間くらいホクレアの周りをうろちょろさせてもらった。夜はホクレアの上で寝かせてもらった。
それからホクレアは次の寄港地を目指してまた旅へ出た。私は神奈川の実家に帰って、また学校に戻った。みんなからはテストサボってどこ行ってたの?とか言われたけど、なんか上の空だった。それから何日か経って、ホクレアがうちの前を通り過ぎて横須賀に寄港すると聞いたから会いに行ったら、なんとそこから私も乗船させてもらえることになった。
家に戻って、防水のダッフルバッグになんか適当に詰めて乗り込んだ。日本語も話せるクルーに通訳してもらいながら、できることを手伝った。なんと向かった先は鎌倉の七里ヶ浜。そこはタイガーが生前住んでいた場所でもあったから、彼の追悼のためにホクレアは向かった。そしてそこは偶然にも私が通っていた学校のまん前だった。母が先生と話してるとは知らなかった私は、また学校をサボっているのに、学校の前に来てしまってやばいと心の中で思っていたが、着いたときにはそんなことを忘れて、クルーと一緒に海に飛び込んでホクレアの下を泳いでいた。海の中から見たホクレアには海中の光が集まっているみたいに見えた。そのあとは横浜、最終寄港地へ向かった。
もう15年近く前のことだけど、ホクレアで初めて海に出た時に思ったのは、なんか懐かしい。そんな気持ちになったこと。とても居心地が良かった。もうそのときには、直感でナビゲーターになりたい!と思ってしまっていたのだと思う。そして、最後に着いた横浜で、ナイノアに、「ナビゲーションを勉強したいです。どうすればいいですか?」と誰かに教えてもらった英語で伝えた。そして彼は「うーん、そうだね、だったらハワイに来るしかないよ。」と言った。翌年の2008年に私は高校を卒業し、ハワイへ渡った。