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日本人クルー紹介: Saki …

日本人クルー紹介: Saki Yamamoto-Uchida氏 Vol. 02

2021.07.17

日本人クルー紹介: 2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学び、ホクレアの世界一周航海に参加した Saki Yamamoto-Uchida氏。彼女がハワイに渡ってから、たくさんの人々と出会い、ホクレアを通して心から学んだ「カプ・ナ・ケイキ」とは?

日本人クルー紹介: 2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学び、ホクレアの世界一周航海に参加した Saki Yamamoto-Uchida氏。彼女がハワイに渡ってから、たくさんの人々と出会い、ホクレアを通して心から学んだ「カプ・ナ・ケイキ」とは?

Saki Yamamoto-Uchida 氏 プロフィール

2008年にホクレアに導かれハワイに渡り伝統航海術を学ぶ。2008年から2011年は航海・ナビゲーショントレーニングでハワイの島々を航海した後、2012年にヒキアナリア処女航海でニュージーランドータヒチーハワイ航海を経験。その後ホクレアの世界一周航海に参加。現在はニュージーランドで子育てをしながら、ニュージーランドの伝統航海カヌープロジェクトに参加している。自然豊かで、家族が祖先代々住んできた土地に住み、マラエ(マオリの集会所といわれる建物)を見守りながら、今よりもいいものを次世代に残せるように、持続可能な生活をしている。インスタグラム@sakiuchida

写真:へケヌクマイ・バスビー氏が建造したアオテアロア(ニュージーランド)の伝統航海カヌー、ナヒラカ・マイ・タフィティにて家族と。

カプ・ナ・ケイキ 〜 子どもたちは神聖

ハワイに着いて、初めてホクレアの母港であるサンドアイランドに行った時のことはよく覚えている。ポリネシア航海協会に電話して、聞き取れたことは、何かの集まりがあり、それがサンドアイランドであるということ。日時もギリギリ聞き取れ、何があるのかはよくわからなかったけど、とりあえず行ってみることにした。当時はまだ大学でESOL(英語が母国語でない生徒がとる授業)を受けているぐらい。地元の友達もいなく、ハワイの地理感もなかった。サーフィンを始めるために買ったモペッド(原付)が私の移動手段だったので、地図をプリントして、なんとかたどり着いた。

着いても、結局ナイノアが何を喋っているのかも、みんなが何を議論しているのかもさっぱり。ただ、ホクレアでカウアイ島まで行くということがわかった。そして、私と同じくらいの年の子達がナイノアからナビゲーションを学んでいるユースグループがあり、その仲間に入れてもらえることになった。カプ・ナ・ケイキ。と呼ばれているグループだ。ハワイ語で「子供たちは神聖」と言う意味で、ナイノアのお父さんがくれた名だった。みんなハワイ人でハワイで生まれ育っている子達だった。彼らが喋っていることももちろんさっぱり。ただ、一緒にカウアイ島に行こうみたいなことを言ってくれた。

帰る頃には、もう日も落ちていた。もちろんモペッドに乗って帰ろうとすると、みんながすごくびっくりしていて、「これでここまで来たの?クレイジーだ!」みたいなことを言われた。サンドアイランドはあんまり治安がいい場所ではなかったようだ。そんなことも知らなかった。みんながトラックの荷台にモペッドを乗せてくれて、家まで送ってくれた。今でもみんなでその時の笑い話をする。

写真:2009年にカプ・ナ・ケイキの仲間とモロカイ島へ航海トレーニング。ホクレアの上で。

ハワイへ渡り、ホクレアと海から学んだことは生きていく上で大切なことしかない。だからどうしてもみんなに、そして子供達に知ってほしいと思ってしまう。

仲間や家族の大切さ。自然と共に生きること。地球の声を聞いて、敬うこと。勇気を出すこと。自分を信じること。言い始めたらキリがない。多分、この地球に生きるどんな人にも共通して大切なことだと思う。

高校卒業まで、長くても家族から一人で離れたのは2週間ぐらいの私が、一人で行ったこともない、よく知っている人もいない、言葉も通じいない土地へ行くことは相当の勇気だった。でももしあの時勇気を出さずにいたら、一生後悔したと思う。だから、18歳の私がその勇気を持っていて本当に良かった。それもホクレアに出会ったから経験できたこと。

ハワイに来てから、ハワイの人たちがどれだけ大きい傷を負っていたかを知った。私が見たハワイは、明るいアロハ~なだけのハワイとは違う。ハワイの人たちの深い傷は私みたいな外の人間を寄せ付けないようにするところもあった。私は言葉足らずだし、どうせ英語ではうまく伝えることもできなかったから、行動で示すしかなかった。カプ・ナ・ケイキの仲間はそれを一番近くで見てくれていた。彼らも今まで言葉が通じない子と友達になったことがなかったと思う。でもみんな海が大好きでカヌーが大好きだった。結局言葉だけでは通じないこともたくさんあった。だからこそ言葉が喋れなくてもなんとかなったと言えるし、言葉が通じる人たちよりも近い存在になった。一生付き合うと言い切れる親友以上の関係になった。

2010年から始まった、ホクレアの修繕作業。ホクレアが生まれてからで一番大きな作業となった。私は幸運にも参加できた。ちょうど初めの学校を卒業し、造船を学ぶ学校に入学したとき。それもホクレアが置いてあるMETC (マリン・エジュケーション・トレーニング・センター)にある学校だった。だから本当に朝から晩までホクレアの側にいることができた。船体の芯の部分まで削り出し、そこからアップグレードさせた。ホクレアが何でどうやってできているのかを全て見ることができた。ホクレアならどんな海も超えて行ける。世界を一周できるという絶対の信頼がある。

航海を共にした仲間はみんな家族のようになる。とクルーは不思議なことにみんな口を揃えて言う。私もそう思う。実は現在のホクレアの上は多国籍だ。アメリカ本土、タヒチ、サモア、トンガ、ニュージーランド、ミクロネシア、スイス、フランス、イギリス、中国、韓国、日本などいろんな国のルーツを持っている人たちが乗っている。特に世界航海では本当に色々な国の人たちと出会った。結局のところ、出身地、年齢、見た目、言葉、は重要ではなかった。みんな心の奥の何かが同じような感じがした。停泊した島々でも、見た目や言葉は違うけど同じような人々に出会った。私のウォッチキャプテンだったケアロハが出港前に言っていたように、世界航海で人々や国々の違いを見るんではなく、同じところをたくさん見つけたと思う。

写真:世界航海の第一レグで辿り着いたタヒチで、ハワイのクルーとタヒチの伝統航海カヌー、ファアファイテのクルーと。

ウェイ・ファインディングというナビゲーション技術を学ぶということは、人生を生き抜いていく力を学ぶことでもある。ナビゲーターは1日に何千という決断をする。小さいことから大きいことまで。小さいと思ったその決断がとても重要なことにつながることもたくさんある。それは人生でも一緒だと思う。

ホクレアと旅をして海が世界中とつなげてくれているということに気がついた。島国に住んでいると、どこか他の国へ行く時は大抵飛行機での移動になる。海が周りとを隔てているように感じる人がほとんどだろう。でもホクレアと航海してからは海があればどこへでもいけるということがわかった。

ホクレアとの全ての経験が今の自分を作ってくれた。航海カヌーなしの人生は全く考えることができない。正直、ここ数年はカヌーから遠ざかってしまうような出来事ばかりだった。だから他にやりたいことはないかと思ったこともあったけれど、私にはカヌーしかやりたいことがない。ということが今年の頭にはっきりした。そしてカプ・ナ・ケイキという言葉。この言葉はホクレアにも刻まれている。世界航海のあとに初めてこの意味がわかった気がした。子供たちは神聖。結局私たちも、今ここにあるほとんどの物理的なものはなくなっていく。続いていくのは子供達と地球だけ。そう思うと私が自分の人生でしたいのは未来のみんなに今よりもいいものをつなげていきたいということ。

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