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ホクレアが教えてくれたこと: …

ホクレアが教えてくれたこと: 池田恭子氏 Vol. 06

2021.07.03

ハワイに暮らし、航海カヌーに関わりながら、「健やかさ(sense of wellbeing)」そしてハワイを通して見えてくるこれからの生き方について発信をしている、池田恭子氏。2007年航海直後に書いたホクレア航海回想録をお届けします。

ハワイに暮らし、航海カヌーに関わりながら、「健やかさ(sense of wellbeing)」そしてハワイを通して見えてくるこれからの生き方について発信をしている、池田恭子氏。2007年航海直後に書いたホクレア航海回想録をお届けします。

池田恭子氏 プロフィール

海の素人ではあるが、2007年のホクレア日本航海に通訳・教育プログラム担当で乗船。その経験を経て、「わたしたちの健やかさはどこからくるのか」という問いをもちながら、日本とハワイをつなぐ学びのプログラムを共創する仕事に携わる。現在はカウアイ島で子育てをしながら、大学で国際プログラムのコーディネーターの仕事をする。カウアイの航海カヌー「ナマホエ」にも家族ぐるみで関わっている。ハワイに暮らし、航海カヌーに関わりながら、「健やかさ(sense of wellbeing)」そしてハワイを通して見えてくるこれからの生き方について発信をしている。

この記事は2007年航海直後に書いたホクレア航海回想録から抜粋。

感謝と伝承の輪・時間と文化を超えて

ミクロネシア出身のマウ・ピアイルグ氏の話をせずにはホクレアのストーリーはその意味を失う。なぜなら、マウなしには、ホクレアもポリネシア全体に広がった航海術の復興はないからだ。

30年余りまえ、ホクレアが出来上がった当時、ポリネシアには、伝統航海術を継承している人はひとりも残っていなかった。ミクロネシアにいる伝航海術士マウ・ピアイルグ氏の噂をききつけたナイノア・トンプソンはミクロネシア・サタワル島に向かう。島が点在するミクロネシアの島々にとって、その島に伝わる伝統航海術はその知恵を有する家族の力を示すものでもあり、また、その島社会をよそ者から守るためにも門外不出とされていた。ましては、ハワイというよその文化圏の者にその「技」を教えるなど、はもってのほかとされていた。30年前、そのようなタブーを犯し、多くの島民から非難を受けながらもハワイから来た青年ナイノア・トンプソンにサタワル島に伝わる航海術を教えたマウ・ピアイルグ。

ホクレアといえば、ハワイそしてポリネシア文化圏の多くの島では、文化復興の火付け役としてスター的存在であるが、その舞台裏には、この一人の男の強い想いがあった。ナイノアがマウの元に来た当時、ミクロネシアでも伝統航海術を学ぼうとする若者が少なくなっていることをマウは懸念していた。ナイノアから伝統航海術を教えてほしいと頼まれたとき、「島のしきたりを破るか、わたしがこの伝統の最後の継承者となるか」マウは選択をしなくてはならかったという。

当時ミクロネシアでは、西洋の教育システムが導入され、小さな島の子ども達は学校のある大きな島の寄宿舎のある学校に送られていった。子ども達は島の生活から切り離され、西洋の教育システムと西洋の文化の影響の中育っていった。

わたしの友人で、マウの姪っこでもあるチューク島出身のポリーナもそのような子ども時代を過ごした

ある夜、キャンプファイヤーを囲んでわたしたちはいろいろな話をしていた。お互いの人生を形作ることとなった出来事などにについて。その時ポリーナは目に涙を浮かべながら、モーターボートに乗せられ、故郷の島から遠く離れた島へ連れていたかれた話をした。小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、そして、大学に進学するためにハワイにきたときも。いつも心に大きな喪失感と痛みをおって、より教養のある人間になるために故郷の島をはなれていった。

島のしきたりを破るというタブーを犯し伝統航海術をよそもの教えたマウの想いは、長い間、島民に理解されることはなかった。ポリーナも幼ながらも自分の叔父がどうしてよそ者に一族に伝わる伝統航海術を教えたのか理解できなかった。怒りの気持ちをずっと持っていたという。

30年ほどたった2007年、たまたま彼女が研修を受けていたプログラムにナイノア・トンプソンが話しにくると聞いたポリーナ。当日は、腕を組み、怒りと威嚇の表情を顔に浮かべていた。ナイノアが3時間以上もの長い講演を終えたとき、わたしはふとポリーナのほうに目を移した。ポリーナの頬には涙がつたい、彼女は椅子から動けないでいた。自分の師匠であるマウの姪っ子が会場にいるときいて、ナイノアはポリーナに歩み寄った。ポリーナは言葉にならない言葉で、ナイノアにこう伝えた。「今日やっと、叔父がなぜあなたに伝統航海術を教えたのかが分った。」「怒りをもっていた自分を恥ずかしく思う。」

ポリーナにとって、常に伝統・ふるさとから引き離されてきた子ども時代の経験。何かがおかしい、何かがしっくりこない、自分が完全でないという思い。常に自分の核となる部分が欠けているという思い。それが、ナイノアがハワイ人であることを恥じるような教育を受けながら過ごしてきた少年時代の経験と重なった。そして、ホクレアのプロジェクトに出会ってナイノアが自己を発見し、また、ホクレア号がこの30年間でハワイの希望の星として、また、ポリネシアの希望の星として、人々を照らし導いてきたその歴史に触れ、ポリーナの中で何かが大きく変わった。

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