サーフィンを世界に広めたデューク・カハナモク

2021.07.25

サーフィンの起源とサーフィンを世界に広めたデューク・カハナモク

サーフィンの起源は、ハワイやタヒチなどに住む「古代ポリネシア系民族」の人たちが、西暦400年頃、アウトリガーカヌーで漁に出た帰り、打ち寄せてくる波に乗って岸に戻っていたことが始まりといわれています。(諸説あり)

その後、ジェームズ・クックによりハワイ諸島の発見、そして、アメリカからキリスト宣教師が布教のためにハワイに上陸した際に、「男女が裸で波に乗る」姿を見て、サーフィンが風紀上の乱れを促進させるとして、サーフィン禁止令が発令され、一時的にハワイでサーフ文化は消滅しました。

20世紀初め、禁止されていたサーフィンは、海の安全を守るライフガードの観点からワイキキに限定して許されることになります。これをきっかけに、ハワイで再びサーフカルチャーが根付き、多くの方が波乗りを楽しむようになったそうです。

デューク・カハナモクによって、近代サーフィンの幕開け

1890年に誕生したデューク・カハナモクは、幼少期よりアウトリガーカヌーや水泳を行い、1912年には、ストックホルムオリンピックで100メートル自由形の金メダリストとなりました!
その後もアントワープで金メダル、パリでのオリンピックで銀メダルを獲得するなど、ハワイのウォーター万は世界最高の実力者として世界に名を知らしめる機会となりました。
そのため、世界中から招かれ、サーフィンのデモンストレーションを各地で行い、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパでサーフィンを広めることに貢献したのです。

デュークの輝かしき人生

1890: 8月24日、デューク ハラプとジュリア パオア カハナモクの間に生まれた9人の子供の長男としてホノルルに生まれる。1869年にイギリスのデューク オブ エジンバラ(エジンバラ公爵)がハワイを訪れたことに敬意を表し、バーニース パウアヒ ビショップ王女により父は名付けられた。デュークは父の名を継ぎ、家族はデュークをパオアと呼んでいた。1893年に家族はワイキキのカリア(ワイキキ西部)に移る。

1911: ホノルル港で初めて開催されたA.A.U.(アマチュア アスレチック ユニオン)水泳大会に出場、フリースタイルで3つの世界記録を打ち破る。

1912: アメリカ代表水泳選手としてストックホルム オリンピックに出場。100m自由形でハワイにとって初となる金メダルを、4×200m自由形リレーにて銀メダルを獲得。アメリカ東海岸へサーフィンを広める。

1914–15: オーストラリアとニュージーランドに赴き、アロハ精神と共にサーフィンを広める。

1917: ワイキキにて、スケッグもリーシュもない一枚板の木製サーフボードで巨大な波に乗り、1.8㎞もの距離を移動。1918年には、第一次世界大戦で戦うアメリカ軍の士気を高めようと、30ものアメリカおよびカナダの都市で開かれた水泳大会で泳ぎを披露する。

1920: ベルギーで開催されたアントワープ オリンピックにて、100m自由形と4×200m自由形リレーで金メダル獲得。サーフィンをオリンピック種目の一つに加えるよう勧める。

1924: パリ オリンピック100m自由形で、“ターザン”役の俳優としても活躍した選手、ジョニー ワイズミュラーに勝ち銀メダルを獲得。

1922–30: ロサンゼルスに住む。俳優となり、脇役として約30本の無声映画に出演。1925年、カリフォルニア、コロナ デル マー沖で起きた船の転覆事故で漁師が海に投げ出され、それを見たデュークは、勇敢にもサーフボードで8人の命を救う。

1932: ロサンゼルス オリンピックにて、アメリカ水球チームの補欠選手として出場し、銅メダルを獲得。これがデュークの最後のオリンピック出場となる。オリンピック選手として20年にも及ぶキャリアは、当時は最長だった。

Duke Kahanamoku(R), Malama Pono Inc.

1940: 8月2日、ナディーン アレクサンダーと結婚。

1959: ハワイがアメリカ合衆国50番目の州となる。デュークはアロハ アンバサダー(親善大使)に就任。

1962: 「デューク カハナモクズ レストラン/ナイトクラブ」をワイキキに開業。

1965:「デューク カハナモク サーフチーム」発足。サーフィン大会「デューク インヴィテーショナル サーフ ミート」第1回、サンセットビーチにて開催。国際水泳殿堂入り、および国際サーフィン殿堂入りを同時に果たした最初の人物となる。

1968: 1月22日、ホノルルにて逝去。伝統的なビーチボーイの流儀による葬儀が行われ、海へと帰る。

1986: ハワイの学生アスリートを支援することを目的に「アウトリガー デューク カハナモク財団」設立。

1990: 生誕100年を記念し、ワイキキに銅像を建立。

1993:「デュークス カヌー クラブ レストラン」1号店をワイキキに開業。

2001: 数日をかけて様々なスポーツの競技が行われる「デュークス オーシャンフェスト」が始まり、毎年開催されるイベントとなる。


サーフサイド・スタイル・マガジン『Blue.』で特集したハワイのサーフィン

アウトリガー・ワイキキ・ビーチ・リゾートで7/25が展示されるオリンピック出場選手とデューク・カハナモクを描いたサーフボード展示

アウトリガー・ワイキキ・ビーチ・リゾートは、世界的に有名なアーティストのエドゥアルド・ボリオリ氏によるサーフボードアートを、2021年7月25日から年末まで、同ホテルの2階ロビーに展示しています。

アウトリガー・ワイキキは、その昔、デューク・カハナモクが所属していた旧アウトリガー・カヌー・クラブがあった場所です。デュークは、この地で波に乗り、多くの人々を魅了し、何世代ものサーファー達がこの場所をサーフィンの聖地としてきました。

赤、黄、黒、緑、青で配色された各サーフボードは、デューク・カハナモク(黒)を中心にオリンピックの象徴である五輪マークをイメージしています。

ボリオリ氏は、デューク以外は、東京で開催されるオリンピックに出場するUSAのメンバー4人、ハワイ出身のカリッサ・ムーア選手(赤)とジョン・ジョン・フローレンス選手(黄色)、チームメイトのキャロライン・マークス選手(青)とコロヘ・アンディーノ選手(緑)をサーフボードに描きました。

Duke Kahanamoku公式サイト

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