一覧へ戻る

日本人クルー紹介: 荒木汰久治…

日本人クルー紹介: 荒木汰久治 氏 vol.05

2021.07.17

日本人クルー紹介:2007年、33才のとき初めてホクレアのハワイー日本航海プロジェクトに参加された荒木汰久治氏。コロナ、そして、いま世界がおかれている状況の中、ホクレアの航海が私たちに何を伝えてくれるのか、お話しを伺いました。

日本人クルー紹介:2007年、33才のとき初めてホクレアのハワイー日本航海プロジェクトに参加された荒木汰久治氏。コロナ、そして、いま世界がおかれている状況の中、ホクレアの航海が私たちに何を伝えてくれるのか、お話しを伺いました。

荒木汰久治(あらきたくじ)氏 47才 プロフィール

世界最高峰の海峡横断レースモロカイチャレンジに、サーフスキー、カヌー、プローンパドルボード、SUPFoilとこれまで35回の日本人最多出場を誇る。大自然に囲まれた沖縄本島北部の海岸で子育てしながら長男・珠里とともに海峡横断や世界最高峰M2Oへ出場を続ける。
 https://www.kanakaokinawa.org/

ホクレアが教えてくれたこと、そして僕がO2Yを通して次世代に伝えていきたいこと。それは海を渡る という行為を通して、自分の島を見つけ、自分の目標となる島を目指し続ける強い意志を持つ大切さを経験することです。

2018/12/15 奄美〜沖縄本島 240kmアイランドクロッシングに成功。珠里は小学6年生で父と一緒に初めて南西諸島を縦断。娘と妻はヨットで伴走しながら二週間の旅。以下の写真はその時の様子のもの。

この20年、自分がハワイに通い、モロカイにずっと挑戦してきたのも、去年よりも今年、今年よりも来年という 風に常に自分の壁を乗り越えていくためでした。そしてそれがレースだと順位という形で分かりやすく現れる。 順位が良いときもあれば失敗し悪い年もある。試合で負けることもある。でも負けたら終わりではない。負けから学び、更に努力してプラスにもっていかないといけない。そういう連続であっという間の20年でした。全て自分の気持ちの持ちようだと思うのです。息子にも常に「相手に負けても、自分には負けな い。自分に負けた瞬間に気持ちが切れ深い谷底へ落ちてしまう。」と伝えてきました。結果的に僕も気が付けば35回モロカイ海峡を渡っていたという感じです。一回一回がとにかく必死だったから。

それはまさしく自分の島を見つけることだと思うのです。自分の目指す島。それは海でなくても陸でも同じ事です。

海の世界にはサメもいればクジラもいる。危険はすぐ側にある。10代の僕が海に漕ぎ出した一昔前、「危ないからやっては いけない。」と言われていたのは、規則という安全に守られていた社会があったから。つまり、ここを越えさえ しなければ安全というルールがかつてはあった。でもそのルールは何も裏付けは無いと僕はずっと感じていました。今は何が安全かが誰にも分からない社会になってしまいました。だから彷徨っているのではないかと思うのです。

僕はホクレアの航海師であるナイノアから、37年前、ホクレアが転覆し助けがくるまでの10時間どんなことが起きて、どんな会話が交わされたかなど、リアルな話をたくさん聞かされました。クルーのエ ディー・アイカウが助けを求めて漕ぎ出して行ったのは、様々な理由が背景にありますが、最終的には彼の強い意思があったら。誰に行けと命令されたわけでもない。その意思には、これまでの人生経験を全て考慮して、「自分ならいける」という冷静な判断があったのだと思います。その上で彼は助けを求めに行ったのです。 でも100%の安全というものは外洋にはありません。結果的には戻らない人になった訳ですけど、でもその後には彼の意思を受け継いで続けている仲間がもっと増えている。 

©︎ Kohei Kawabata

僕は大事なのは意思だと思っています。いかに自分の目標となる島を目指し続けることができるのか。その強い意志を息子に引き継ぎたいし、多くの人に持ってほしいと思っています。誰しもがそれをできるかというとそうではないかもしれない。でもコロナ禍そしてこんな世の中だからこそ、 強い気持ちをもって、目標に向かっていかないと漂流してしまう。これからの時代は自分で自分の進む道を見つけられるかが問われる時代だと思うんです。これがホクレアが日本そして世界に伝えてくれるメッセージだと思うんのす。言葉や文章ではなく、リアルに海を渡ってきてくれるから、僕はそれを体感しましたから。

©︎ Kohei Kawabata

さっきスポーツの世界でも縦割りだった社会がホクレアの日本航海をきっかけに丸く繋がったと言う話をしましたが、海を渡って島に到着することで(漂着でなく)人が繋がります。僕ら一家も沖縄と与論の海を渡り続けてきて多くの家族仲間が増えました。日本の漁船にも〇〇丸ってあるじゃないですか。やっぱり海に出ると丸を描いて、必ず陸に戻ってこなくてはいけない。「海にでたら かならず陸に辿り着く、という強い意志を持つ。」ということだと思うのです。これは僕も自分の家族に常に伝えていることです。

©︎ Kohei Kawabata

この間、僕が「モロカイの親父」とよんでいたメルが亡くなってしまいましたが、小さいころから 知ってるメルの息子さんは、いまでは亡き父の意思を継いでホクレアのクルーとして頑張っている。そういう親子の姿を見ていると、たとえこの世の中からいなくなったとしても、その意思を受け継ぐ次の世代 が確実に育つということが本当に素晴らしことだなって思うのです。そういう意味でも、僕にできるのは「子育て」しかないと思います。

日本でも僕の息子の世代がこれからどんどん挑戦しにハワイに向かいます。そういう意味でもエディー の残してくれた意思はこれからも海を越えて受け継がれていくと感じています。モロカイチャレンジの会場である海はまさしくエディの魂が存在する海。そして僕がホクレアに導かれたように、きっと、彼らもホクレアに導かれていく。一言で、これからが楽しみです。来年も再来年も楽しみが増えていく。ホ クレアの環太平洋航海も楽しみのひとつ。モロカイチャレンジも楽しみです。


最後に汰久治さんにとってホクレアとは
?

「荒木さんにとって『海』とは何ですかってよく聞かれます。そんな時よく「自分自身=海」だと答えています。大時化の時もあるし、負けたら落ち込むし、大けがも、死ぬ思いも何度もしました。でも海は何よりも楽しい場所でもあり、子供たちを遊ばせる最高の場所でもあります。

ホクレアはそんな場所に僕たちを深く・遠く連れ出してくれる海の案内役だと思います。ホクレアを通して、 悲しい歴史もたくさん学んだし、美しいストーリーも出会いました。ホクレアに携わったことで学んだこと全てがリアルで作られた世界は何一つありませんでした。

人生の大半を沖縄で暮らすようになり、強く感じることがあります。ハワイ同様に古来の伝統文化といえば素晴らしい歌と踊り、祭りが残っていますが、逆にその二つしか残っていないとも言えると思います。経済大国の沖縄となって渋滞、騒音、環境破壊、などの問題が山積みです。これから僕らが対面する海は、漂流ゴミで埋まっているかもしれません。でもそれを知らずに沖縄の海(未来)はありません。2006年に糸満に入港してくれたホクレアはそういうことを教えてくれました。ホクレアは過去に戻り、そして未来に向かっていく船です。

=(イコール)僕たち人間が生きる世界そのもの。

それをホクレアが良しも悪しも全て見せてくれる。 僕たちは自分たちが生きる世界の現況を直視してはじめて、どんな未来を一つ一つ選んでいくらかを考えるのだと思います。

それが自分の道を見出すということなのだと思います。息子は中学三年生。まだまだ知らない海があります。自分で見つけ出すということが何よりも大切なプロセスであり、大きな決断の連続です。僕ら一人一人がそれをやっていかなくてはいけないのだと思います。

2018/12/15 奄美〜沖縄本島 240kmアイランドクロッシングに成功。珠里は小学6年生で父と一緒に初めて南西諸島を縦断。娘と妻はヨットで伴走しながら二週間の旅。

LATEST

伝統航海の広がりWorld Sailing

すべて見る

環太平洋航海2022 最新情報Pacific Rim Voyage 2022

すべて見る

お知らせNews

すべて見る