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日本人クルー紹介: 荒木汰久治…

日本人クルー紹介: 荒木汰久治 氏 vol. 04

2021.07.17

日本人クルー紹介:2007年、33才のとき初めてホクレアのハワイー日本航海プロジェクトに参 加された荒木汰久治氏。オーシャンアスリートとしてのこれまでの体験、そしてホクレアでの体験をもとに感じ取った大切なことを次世代に伝えていくための取り組みについて聞いてみました。

日本人クルー紹介:2007年、33才のとき初めてホクレアのハワイー日本航海プロジェクトに参 加された荒木汰久治氏。オーシャンアスリートとしてのこれまでの体験、そしてホクレアでの体験をもとに感じ取った大切なことを次世代に伝えていくための取り組みについて聞いてみました。

荒木汰久治(あらきたくじ)氏 47才 プロフィール

世界最高峰の海峡横断レース”モロカイチャレンジ”に、サーフスキー、カヌー、プローンパドルボード、SUP、Foilとこれまで35回の日本人最多出場を誇る。大自然に囲まれた沖縄本島北部の海岸で子育てしながら長男・珠里とともに海峡横断や世界最高峰M2Oへ出場を続ける。

KANAKA沖縄 official site  https://www.kanakaokinawa.org/

次のチャレンジーO2Y海峡縦断レース

何か具体的なプログラムというほどのものではないですが、僕は1998 年から約20年、継続して出場してきたモロカイチャレンジ(モロカイ島ーオアフ島海峡縦断レース)のようなレースを日本で作りたいと思ってきました。2007年のホクレアの航海が終わり、2008年からその舞台となる海はここしかないと思って、沖縄ー与論島そして与論から九州までつづく南西諸島の約800kmある海域を漕いで人力で渡る冒険=Expeditionに挑戦してきました。そして、沖縄本島で家族と一緒に手つくりのダウンウインドレースを主宰してきました。そして今年(2021年)の夏いよいよ沖縄と与論を渡るレースを開催することになりました。

本当であれば海外の選手にもたくさんきてもらいたいのですが、今年はコロナがあるので日本人だけの開催となります。このレースは僕と同じ世代でこれまで漕ぎ続けてきた友人たちや、昔一緒にモロカイに出た仲間たち、仕事や子育てで競技から少し離れているような彼らにとって人生の情熱をかけて挑戦できる場にもなってほしいという願いをもっています。 

またこの大会にはもちろん賞金もありますので、今後は海外の選手も参加してくることになります。コ ロナ後には人数制限をしなくてもよくなるのでそうすると100人規模のレースへと成長していくビジョンを持っています。モロカイチャレンジの往年のチャンピオンもいま70歳で現役の方がいるんですけど、そんな僕の師匠のような方々もコロナが収束したら二つ返事で来ると口にしてくれています。そういう人たちがこのレースにきてくれたら、誰かが何も言わなくても海のメッセージが伝わると思います。ホクレアの航海のときも、横浜でタバさんやキモさんのようなベテランクルーがカヌーから降りてくると、もう言 葉なしに伝わってくるものがある。人生かけて海を渡る彼らのような人から伝わってくるもの。僕はこ のレースを通して、日本のウォーターマンの卵である子供たちに海のレジェンドたちに直接触れてほしいと願っています。 

また、琉球列島にはハワイと同じように航海文化があります。この海には、沖縄、与論島そし て九州まで続く島々を星を頼りに航海していたことを伝える古人の歌や踊りが残っています。第二次大戦を境に、沖縄がアメリカの占領下にあったこともあって、与論島と沖縄の間に国境がしかれ、自由に行き来できなくなった時代もありました。与論の人にとって沖縄は近くてもとても遠い存在であるとよく島の人たから話を聞いています。このイベントを通して、島の人々たちに再び強い心の繋がりが生まれるといいなと思っています。 

オーシャンアスリートとして僕にできることは、こういうイベントを通して、子供たちにスポーツを通して海に興味を持ってもらったり、それを通して自分たちの島の歴史や文化について興味を持つきっかけをつくることだと思います。またそれに不随してオーシャンスポーツの理解者が増え、結果的に海を大切に守っていく人が増えていくことを強く願っています。先日も与論の教育委員会に招聘され地元の子たち向けのSUPの実演を息子と一 緒にやってきました。そして与論島でも友人がスポーツ少年団としてSUPを教え始めているのです。 

ここ琉球列島にはハワイの貿易風(トレードウィンド)と似た、南から吹く季節風があり夏至南風(カーチーバイ)と呼ばれています。毎年必ず6月末にその風が吹く。地理的にも、気候的にもハワイに近く、海峡を渡るレースを企画するには最適の場所です。 モロカイチャレンジはモロカイからオアフを渡るレースなのでM2O(Molokai to/2 Oahu)と呼ばれていますが、沖縄から与論のレースなので O2Y(Okinawa to/2 Yoron)と名付けました。数字の”2”が真ん中に入る意味は、島と島を繋ぐという意味があります。たとえ何十キロの渡る長距離のレースであっても、島と島を渡らないレースには数字の2は使えません。逆に10キロであっても、島を渡るレースには2がつく。この2という数字はサメや鯨に遭遇したり、帰れなくなるというリスクが常につきまとう、深く遠い海域を象徴している。 こうして僕ら一家が暮らす琉球列島でレースを開催することができるというのはずっと夢描いてきたことです。 多くの準備をしながら、ようやく海峡を渡るレースイベントを開催できることになり鹿児島県、沖縄県、そして与論町の行政、一昔前だったら絶対不可能だと言われてきた海上保安庁の理解も得て、実施が可能となりました。

O2Yに関してはすでにいろんなところで宣伝されているのですか? 

ホームページやSUPの専門紙を通して開催告知をしています。レースは6月最終週末から7月の最初の週末の間で梅雨前線の状況を見定めて決行日を判断します。僕はこの20年、ずっと沖縄の自宅から雲を観察してきました。また、何度も出航のタイミング読み間違え、航海中に梅雨前線に捕まり死ぬ思いをしたこともあります。そんな経験を長年重ねてきたので、出航のタイミングを見落とすことはありません。 

今は伴走船長たちと安全管理に関するミーティングを重ねています。漁師さんや漁業組合と信頼関係、そして協力体制を築いていくのは本当に時間がかかる大変な作業です。 今回のレースから僕は初めて選手としてレースに出る形ではなく、伴走船から見守る立場になります。

「主催者として選手と運営ボランティアの方に対して僕にできる全てをやろう。」と思っています。いま、SUPという新しいスポーツは近い将来オリンピック種目になると騒がれているくらいに世界で急速に普及しています。でも殆どの人は外洋パドリングの世界を知らないから、ライブ配信を通して多くの方にみてもらいたいと思っています。選手の躍動感と、勝った時、負けた時の感動をありのままに感じてもらいたいです。理屈ではないそのエネルギーは人に伝わり、それまで隔てられていたもの全てが繋がる瞬間となります。それがオーシャンスポーツが持つ真の力だと思います。 

一方、本気で勝敗を争う競技ですから勝敗はとてもシビアで、賞金も出します。(初年度は100万円、次年度以降は200万円が目標です)。またコロナが落ち着いたら来年は国際レースとして開催したいと思います。ただ、オリンピックで言えばメダルの色だけでは判断できない本物の感動がO2Yの数字の”2”にある。と強く信じています。これは僕がホクレアの実践航海から体感し、日本人へ伝え続けたい大切な想いです。 

https://www.kanakaokinawa.org/result/

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