ハワイのレジェンド、デューク・カハナモク

2022.08.18

8月20日から28日までクヒオ・ビーチを中心にワイキキでデュークス・オーシャンフェストが開催されます。ハワイを代表するサーフィン、水泳、パドルボードレース、ビーチバレーなどの様々なウォータースポーツの競技と、さらにハワイで唯一のドッグサーフィンコンペティションも開かれます。また、スポーツだけではなくフラ、映画や音楽を楽しむことができるイベントになっています。

デュークス・オーシャンフェストは、サーフィンのスポーツとしての普及に多大な貢献をした、ハワイ出身の伝説的なサーファー、デューク・カハナモクを称えるウォータースポーツイベント。デュークの誕生日の8月24日の週に毎年開催されています。

クヒオ・ビーチに立つデュークの銅像がとても印象的で、銅像前で記念撮影する人が絶えない人気スポットとなっています。

今も伝説として名を残すデュークですが、皆さんは彼の活躍をご存知ですか?

今回はハワイのレジェンド、デューク・カハナモクについてご紹介します。

サーフィンの起源と歴史

まず、デュークの活躍を知るためにはサーウィンの歴史的背景を知る必要があります。

1778年に、キャプテン・クックが西洋人として初めてハワイ諸島を発見したときには、サーフィンは既に文化の一つとして確立していました。男女ともに、木製のサーフボードを使い波に乗っていたという記録が残っていて、最初のサーフィン記録といわれています。

神話や伝説にも描かれるほどポピュラーだったサーフィンは、19世紀にアメリカからのキリスト教の宣教師の上陸をきっかけにフラやハワイ語などとともにサーフィン文化は急激に衰退しました。

しかし、弾圧を受けたのにも関わらず、サーフィンは決して消滅することはありませんでした。デューク・カハナモクの活躍こそが、サーフィン文化を繋ぎ止め、モダン・サーフィンを世界に広めたのです。

デューク・カハナモクの活躍

デュークが誕生した1890年、当時はハワイ王朝が困難な時期に直面し、比例して西洋文化が広まっていきハワイ文化が薄れてしまっていった時代でした。

そのような時代背景がある中、1912年デュークはストックホルムで開催されたオリンピック水泳自由形100メートルでハワイ出身者初の金メダルを獲得し、ハワイの人たちにとってヒーロー的存在になりました。

その後、彼はアメリカ本土やオーストラリアでサーフィンを披露し、行く先々で世モダン・サーフィンを広め、人気のスポーツにしたことに貢献しました。今につながる世界的なサーフィンの広がりの原点となったのです。
デュークの功績を讃え、「サーフィンの父」と呼ばれています。

水泳選手としても、1920年アントワープオリンピック水泳自由形100メートル・800メートルリレー金メダル、1924年パリオリンピック水泳自由形100メートル銀メダルなど数々の大会に出場し、数え切れないほどのメダルを獲得し世界チャンピオンとして君臨しました。

ワイキキビーチボーイズ

デュークは選手としてだけではなく、現在ワイキキで観光客にサーフィンやカヌーのレッスンをしているビーチボーイズの創始者の一人です。海の楽しさを教える傍ら、ワイキキビーチの安全を守りました。

1925年、カリフォルニア州ニューポートビーチで、8人の漁師を大海原から救い出すという、ホノルル・スター・ブレティン紙が「超人的な救出劇」と評する活躍を見せました。

水難事故時から人々を救ったり、ハワイ親善大使としてアロハ・スピリットを広め現在もハワイの人々から尊敬されています。

2021年、ハワイ国際映画祭で上映され話題になった、デュークのドキュメンタリー映画「ウォーターマン」。
当時の貴重な映像やインタービューを通して、彼の成功や苦悩を掘り下げた映画です。

ウォーターマントレーラー

2021年に開催された東京オリンピックでは、サーフィンが初めて競技種目として追加され日本の五十嵐カノア選手が銀メダルを獲得したことも記憶に新しいかと思います。

今は世界中で人気なサーフィンですが、もしデュークがいなかったら、サーフィンは永遠にハワイや世界の海から消えていて過去のスポーツなっていたかもしれません。
彼が「現代サーフィンの父」と呼ばれ、今もなおハワイの人々に愛されているのが納得です。

そんなデュークの信念に伴い、海のスポーツとアロハスピリットをシェアすることを目的としたデュークス・オーシャンフェストに是非足を運んで、彼が守り続けたスポーツをお楽しみください!

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