ハワイの歴史を旅する|場所と人物で学ぶハワイ史シリーズ〜人物編〜|特集|ハワイ州観光局公式日本語サイト

ハワイの歴史を旅する|場所と人物で学ぶハワイ史シリーズ〜人物編〜

#イベント #キッズ #ハワイの歴史

「ワイキキ・ダウンタウン歴史街道ツアー」を主宰する、さゆりロバーツさんに紹介して頂くハワイの歴史。ハワイ初心者の方にも、リピーターの方にもオススメの、ハワイの歴史にまつわる楽しいストーリーをシリーズでお届けします。

今回は人物編。さゆりさんのツアーでも話題に上るハワイのウォータースポーツの英雄デューク・カハナモクと、数ある逸話の中から、カメハメハ4世と妻のクイーン・エマの物語です。

100年越しの願いが叶った!「オリンピック選手」デューク・カハナモク

昨年(2024年)夏季オリンピックがフランスはパリで開催されました。そこで、クイズです。101年前となる1924年のオリンピック開催地はどこでしょう?
答えは…パリです!100年という時を超えて、同じ場所でオリンピックが開催されたのです。その1924年のパリ・オリンピックの舞台に登場していたのが、「近代サーフィンの父」としても有名なデューク・カハナモク氏でした。

デューク氏、オリンピックデビューで大快挙!
1890年生まれのデューク氏のオリンピックデビューは、1912年のストックホルム・オリンピック(スウェーデン)。デューク氏が21歳の時のことで、水泳の100m自由形と、4x200m自由形リレーに参加しています。オリンピックに先立って、ホノルル港で開催された水泳大会では、泳ぎがあまりにも速かったためにタイムウォッチの不具合だと思われ、記録が無効となったというエピソードがあるなど、飛びぬけた泳ぎのセンスを持っていたデューク氏。その後、晴れてアメリカ合衆国代表のオリンピック選手に選ばれます。しかし、温かいハワイで生まれ育ったデューク氏の戦いの場は、気温も水温も違うスウェーデンの地。低い水温に慣れるための特訓では、大変苦労したそうです。その大変な特訓を乗り越え、デューク氏は100m自由形で金メダルを、4x200m自由形リレーでは、銀メダルを獲得する快挙を成し遂げました。

写真:1924年、パリ・オリンピックでのデューク氏と、ストックホルム・オリンピックで表彰される様子。Wikimedia, public domain

サーフィンを絶滅の危機から救う
デューク氏は、水泳のオリンピック選手として活躍しつつ、ハワイの文化の一つ「サーフィン」を、世界に広める活動を始めました。1912年にはアメリカ、1914年から15年にかけては、オーストラリアとニュージーランドに赴き、サーフィンを紹介しています。実は、ハワイの大切な文化の一つであるサーフィンは、絶滅していたかもしれないものなのです。アメリカ東部からハワイへと渡った宣教師たちが、「サーフィンをする時間は労働に充てるべきだ」と強く説いていったことから、ハワイにおけるサーフィン人口が減り、サーフィンが絶滅の危機に瀕します。そのような中、デューク氏と彼の仲間たちの努力で、サーフィンが息を吹き返し、ハワイの地でサーフィンが次第に復活。さらに、デューク氏を通して、サーフィンがハワイから世界へと広がっていきました。そういったことから、デューク氏は「近代サーフィンの父」と呼ばれているのです。

サーフィンをオリンピック種目に
1916年のオリンピックは、第一次世界大戦により中止となりましたが、1920年に開催されたアントワープ・オリンピック(ベルギー)は開催の運びとなり、デューク氏は再び100m自由形と4x200m自由形リレーに登場。なんと、両方で金メダルを獲得するという、大快挙を達成しました。この1920年の大会で、デューク氏は「サーフィンをオリンピックの競技の一つに」と大会関係者らに働きかけました。

写真:「近代サーフィンの父」として、サーフボードを背に立つデューク氏の銅像。Hawaii Historic Tour LLC、1920年の大会の様子。デューク氏は5番レーンに。Wikimedia, public domain

もしデューク氏が100年遅く生まれていたら…
そして、4年後の1924年。パリ・オリンピックにも100m自由形で登場し、銀メダルを獲得しました。
それから100年後の2024年、同じくパリで開催されることになったオリンピック。もし、1890年生まれのデューク氏が、1990年生まれだったとしたら、2024年大会では、どんな競技に参加したでしょうか…? きっと答えは、「サーフィン」に違いないですね!パリ・オリンピックでは、サーフィンが種目の一つとなっていて、ハワイの南にある島々、フランス領タヒチが、サーフィン競技の開催地となりました。

100年越しの願いが叶う
サーフィンがオリンピック種目の一つに初めて加えられたのは、2020年の東京オリンピックでのこと(実際に開催されたのは2021年)。1920年に「サーフィンを種目の一つに」と働きかけたデューク氏の願いは、100年後に東京で叶いました!そして、この東京大会のサーフィン競技(女子の部)で金メダルを獲得したのは、ハワイ州ホノルル市出身の、カリッサ・ムーアさんでした。100年の時を超えて、オリンピック選手として、サーファーとして、そして、サーフィンという文化の継承者としてつながる、デューク氏とカリッサさん。毎日多くの人々が行き来する、ホノルル市街地の大通り、キング・ストリート沿いのビルの壁に、2人の姿は大きく描かれ、彼らの偉業を称えています。

ワイキキでは、毎年8月中旬に1週間かけて、デューク・カハナモク氏の誕生日である8月24日に合わせ、ウォータースポーツの祭典「デューク・カハナモク・オーシャン・フェスティバル」がワイキキで行われます。場所は、デューク・カハナモク氏の銅像前のビーチです。この頃ハワイにいらっしゃる方は、ぜひ銅像を訪れてみては?

デューク・カハナモク・オーシャン・フェスティバルの詳細はこちら

サーフィンの歴史をより詳しく知りたい時は、こちら

写真:競技会でのカリッサ・ムーアさん。Wikimedia, Troy Williams、デューク氏とカリッサさんの壁画(ワイキキから車で10分程の所にあります。)Hawaii Historic Tour LLC

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王妃もジューン・ブライド!ウェディングシーズンにロイヤルウェディングを行なった王妃とは?

「ジューン・ブライド(6月の花嫁)」という言葉があるように、欧米を中心に、6月はウェディング・シーズンといわれます。

ハワイは1年を通して、多くの方々が式を挙げられていますが、挙式数が特に多いのは、やはり6月を含む夏場と10月。ちなみに、ハワイの6月は雨季もすっかり終わって青空が広がる日々が続き、台風シーズンの前で天気も安定し、花々が咲き…ということもあって、確かに挙式を行うにはピッタリの月。そんな素敵な6月のハワイで、王国時代、盛大にロイヤルウェディングが行われました。今回は、「そのお二人」に関する場所をご紹介します。

「そのお二人の銅像」が、ワイキキに

今回ご紹介する王族の銅像が、ワイキキにあります。それは一体、誰なのでしょうか?

答えは、カメハメハ4世、カメハメハ大王の孫にあたる方です。そしてお相手のエマ王妃です。

お二人は1856年6月19日に、ダウンタウンにある最も歴史ある教会「カワイアハオ教会」にて式を挙げています。お二人はそれぞれ馬車に乗り、騎馬隊に続いて、現イオラニ宮殿がある場所にかつてあった旧宮殿を出発し、教会に向かいました。写真の銅像は、ワイキキにあるモール、「インターナショナル・マーケットプレイス」内にあります。お二人の間にアルバート王子も誕生しましたが、4歳で病により亡くなられ、翌年にはカメハメハ4世も逝去…悲しみにくれたエマ王妃に、インターナショナル・マーケットプレイスの土地を所有していたルナリロ王(ハワイ王国の6代目の王)が、緑に囲まれ、静かに心を休めることができるようにと、この土地を譲渡し、王妃は後に別荘を建てました。そういったことから、エマ王妃と家族の銅像が、インターナショナル・マーケット内に置かれています。

ハワイで最初の病院を設立した4世とエマ王妃

カメハメハ4世とエマ王妃は、ハワイで最初となる病院を設立しています。4世が王として活躍した1850年代後半、外国から持ち込まれてしまった様々な病気により、それらに免疫を持たないハワイアンが、数多く命を落とすという時代でした。1860年に着工したクイーンズ・ホスピタルは、病床124床から始まり、数度の拡張工事を経て、現在はクイーンズ・メディカル・センターとして、病床575床を数え、医師・スタッフ総勢1万人が勤務する大病院となっています。

写真:Hawaii State Archives)

エマ王妃が家族で過ごした夏の離宮

ホノルルのダウンタウンから、オアフ島東部に伸びるパリ・ハイウェイに入り、車でわずか3分程。緑に囲まれた「ヌウアヌ」と呼ばれる地に、クイーン・エマ・サマーパレスがあります。

1848年に建てられた建物で、その2年後にエマ王妃の叔父であるジョン・ヤング2世が購入し、1857年にエマ王妃が相続する形となりました。夏の時期、宮殿のあるダウンタウンの喧騒を離れ、山々に囲まれた静かな環境で、エマ王妃、カメハメハ4世、そして、お二人の間に生まれたアルバート王子が過ごされた場所です。当時の様子を今に伝える博物館として、王子が使われた揺りかごやベビーベッド、王族のシンボルである羽のケープの数々、イギリスのビクトリア女王から贈られたギフトなど、大変貴重なものが数多く展示され、見応えのある博物館となっています。

王族の人生をたどる旅

今回は、カメハメハ4世と「ジューン・ブライド」であるエマ王妃に特に注目して、王妃に関わる場所をご紹介しました。王族が遺した建物は数々ありますが、一人の王族に注目して、その王族が関わる場所や建物を訪れて、その人生の一部をたどってみるという旅も、様々な発見があって面白いかもしれませんね。

エマ王妃についてより詳しく知りたい方はこちら

https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/123

インターナショナル・マーケットプレイスの歴史はこちらhttps://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/548

クイーン・エマ・サマーパレスについてより詳しく知りたい方はこちらhttps://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/117

執筆:さゆりロバーツ ワイキキ・ダウンタウン 歴史街道ツアー https://www.hawaii-historic-tour.com/tourguide

本稿は、2024年に旧allhawaiiに掲載された記事を編集したものです。

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