【祝!ハワイツアー再開】世界一のフラ祭典、ハワイ島で2年ぶりに開催!ハワイ島中の人々が集まるパレードとは?

2022.04.29

ハワイ島の大祭典! メリー・モナーク・フェスティバルとは?

 世界一のフラの祭典、メリー・モナーク・フェスティバルといえば、フラを学ぶものにとってのオリンピックとも呼ばれ、世界最高峰の舞台であり競技会です。その約60年の歴史のなかコロナ禍であった2020年に、初めてメリー・モナーク・フェスティバルの中止が発表されたことは、この舞台のために人生を捧げていると公言しているフラの踊り子たちににとって、大事件でした。

 2021年には晴れて開催となりましたが、パレード、クラフトフェア、ライブミュージックなどのイベントは中止になり、フラ競技会も無観客で行われ、毎年恒例のライブ中継も行われませんでした。

 そして今年! ようやくパレードもクラフトフェアも生演奏も復活した形式で、華々しく第59回メリー・モナーク・フェスティバルが開催されました。期間はイースターサンデーの次の日である4月18日から23日までの5日間。ただ、観客はダンサーの家族や長年の功労者、スポンサーなどに今回も限られており、来年こそは一般客も観覧できるようになることを祈るばかりです。

 そもそもメリー・モナーク・フェスティバルとは、ハワイ島ヒロの島興し・津波からの復興を目的に、最初はフラの発表会として1964年にはじめられたもの。当初、メリー・モナーク・フェスティバルはたった9ハラウ(フラの学校)の参加でしたが、現在では厳しい審査をパスして当選した20ハラウ(今年は18ハラウ)のみが参加することができ、その情熱と技量を競うという大変名誉ある大会です。しかも毎年5000人以上の観客を集め、チケットは完売、ヒロのホテルはその期間すべて満室となる一大イベントへと成長しています。

 その要となる競技、フラ(hula)とはハワイ語で踊り。『フラダンス』という名称は基本的には間違いのため眉を顰める人も多い表現ですが、ある概念を他言語で紹介するときに、広く認知されている言語で補う表現は、サハラ砂漠などのようによく使われています。

 ハワイアンが踊るフラは、ただのエンターテイメントとしての踊りではありません。文字を持たなかった古代ハワイアンにとって、口承でハワイの歴史を伝えていくための叙事詩として文化的にも音楽的にも価値が高い総合芸術であり、また、叙情詩的なチャント(詠唱)を伝達しながら祈る祈祷の手段でもあるのです。フラの中には神話や歴史、祈り、農学系統、天文学、先祖・家系が綴られています。フラを目にする皆さんが一目見て、ハワイの風や波音を感じられるのは、フラがハワイそのものであるからなのです。そのためフラを踊る者には、ハワイ語へのきちんとした理解やハワイ文化や歴史への深い造詣、精神的な成熟と技巧両面での成長が求められます。

メリー・モナーク・フェスティバル、今年の優勝ハラウは?

 ということで今年2022年、第59回メリー・モナーク・フェスティバルの優勝ハラウをご紹介します!

 女性・古典フラ第1位:Hālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘ala
 女性・現代フラ第1位:Hālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘ala
 女性部門総合優勝:Hālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘ala
 総合優勝:Hālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘ala

 なんと、カウアイ島のHālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘alaが、ほぼ全部門(男性部門以外)優勝という圧倒的な強さを見せつけました! 60年の歴史の中でカウアイ島のハラウが3部門を制覇するのは初めてだということです。クム(フラ芸術の師匠、または老成した精神をもつ熟練の先達の意味。ここではフラの師匠)であるLeinā‘ala Pavao Jardin 先生のインタビューとフラの様子は下記からご覧いただけます。  

 

インタビューとフラ・ダイジェスト「ようやく帰って来られました」

女性・現代フラ第1位:Hālau Ka Lei Mokihana O Leinā‘ala

男性部門は……?

 男性・古典フラ第1位:Hālau Kekuaokalā‘au‘ala‘iliahi
 男性・現代フラ第1位:Hālau Kekuaokalā‘au‘ala‘iliahi
 男性部門総合優勝:Hālau Kekuaokalā‘au‘ala‘iliahi

 ここでもHālau Kekuaokalā‘au‘ala‘iliahiというハラウが、3部門制覇! 
この空気感、来年は是非とも現地で感じたいものです。

ライブでは見られないけれど、少しでもメリー・モナークを感じたい!パレードを見に行こう!

 ということで19日(水)に開催された一般客が唯一入場できるチケット争奪戦にも敗れたので、23日に開催されるメリー・モナーク・ロイヤルフェスティバルに参加してきました。

 西海岸のカイルア・コナからはまず州道190号線でワイメアの方面へ向かうと、ひたすらこのような真っ直ぐの道路を進みます。

 右折してハワイ州道200号線、別名がサドルロードと呼ばれる道に入ればドライブに絶好の光景が広がります。左手にマウナ・ケア、右手にマウナロア山という両手に名山を抱えながらポーハクロア米軍訓練所(Pohakuloa Training Area)を進みます。小さなドーム型の噴石丘をたくさん通り過ぎると、間もなく最高地点(2,021m)に達しますので耳抜きなどお忘れなく。

 近くにプウ・フルフル(Pu'u Huluhulu)というハワイアンの聖地、そしてギルバート・カヘレ・レクリエーション・エリア(通称:マウナ・ケア州立公園、Gilbert Kahele Recreation Area)があります。

 こちらの公園、Googleでは『マウナ・ケア州立公園
Mauna Kea State Recreation Area / Mauna Kea Forest Reserve』としか出てこないのですが、現地の看板には『Gilbert Kahele Recreation Area』としか書かれておらず、旅行会社で働いていた折に、現地集合のお客様から「Gilbert Kahele Recreation Areaしかなくて、マウナ・ケア州立公園がないのですけども! どこに行ったらいいのですか!」という悲痛な問い合わせ電話を毎日頂いていたので、ぜひお気をつけください。すべて同じ公園です。半径15キロ以内に他の公園はないので、安心してください。

 そのトラップ公園を過ぎると、すばる望遠鏡など世界中の天文台を多く有すマウナ・ケアへ登る道路の入り口があります。この付近は東から西へ抜ける風が強かったり、霧が立ち込める場合が多いのですが、そのあとはだんだん高度も下がり、島の東の風上側の多雨林地帯を抜けます。

 このサドルロードは完成して来年で10周年。このサドルロードのおかげで、ハワイ島の観光が飛躍的に催行しやすくなったのですが、地元民にとっても救世主ロードです。全長84.8kmの、さまざまに移り変わる植物や自然、天候などの車窓をお楽しみください。

 ということで、カイルア・コナから往復3時間の道程を経て、ヒロに到着。パレードは午前10時半からはじまるのですが、8時にはカメハメハアベニューという主要道路が閉鎖されます。

通行止め概要

 そのためカイルア・コナからパレードのスタート地点に向かおうとすると、既に道路は通行止めになっている可能性が高いので気をつけてください。

 通りに出てみると、パレードの開始をいまかいまかと待ち構える人で大混雑! みなさん大変準備が良く、パラソルやカノピー、ビーチチェアに露天商もでてお祭り騒ぎです。ビーチチェアもパラソルも持ってきていなかった私は、穴場スポットを見つけに歩きます。

 まず車を停めたら、キラウエア・アベニューを右折してどんどん進みます。

 そして浮き足立つ観衆のなかで5分ほど歩くと、スターバックス(438 Kilauea Ave, Hilo, HI 96720)が見えてきます。ここが私のオススメ、ベストパレード観覧スポットです。帽子をかぶってはいるものの、日差しはジリジリ照りつけてきます。最前列で観覧しながら、暑くなったらスターバックスのテラス席のパラソルの下で冷たいものが飲めて、小腹も満たせるという最強スポットです。

 さて消防車が2台通り過ぎて、パレードのスタートです。

 まず始めに、メリー・モナーク・フェスティバル男衆互助会といった趣きの、大変威厳ある方々が練り歩きます。この方々があまりにもかっこよくて、私も浮き足立ってきました。市長さんが奥様とお揃いのアロハを着て徒歩でパレードしていたり、ハワイ島のみならず、すべての島からさまざまなミス〇〇が集まっており、大変華やかで眼福に溢れたパレードでした。この日、パレードに参加したのはなんと80団体にも上り、3時間半にわたって行われました。

ハワイ島の情報番組もこのパレードの様子をトップで報じました

 団扇やお菓子など配っているので、沿道に立っているともらえちゃいます。

 朗らかな市長夫妻。

 ちなみに一般参加も受け付けていますので、こんな豪華なトラックに花や葉でふんだんに飾りつけをしたトラックも登場します。こちらは、なんと個人を偲んで親族が用意したパレードカー。沿道で啜り泣く声が聞かれました。

 このフェスティバルに象徴されるように、ハワイの人々の心であるフラ。今まで順風満帆に先祖代々受け継がれてきたように見えますが、大転換期が起こったのは過去に遡ること1820年でした。というより、フラにとってのみならず、ハワイ文化の暗黒時代が始まるのです。この年に初めて宣教師がハワイ島に上陸してから、ちょうど10年目にフラ禁止令が出されることととなってしまったのです。

フラが禁止された暗黒時代

 宣教師上陸の前年である1819年にはハワイの島々を王国として初めて統一したカメハメハ大王が亡くなり、西洋の社会や文化に感化されていたカメハメハ大王の妃・カアフマヌ女王が絶大な権力を持つことで、ハワイ文化に不穏な影が差して行きます。例えばハワイ独自の習慣や文化、土着信仰として継続されていた『カプ』という禁令制度を、カメハメハ大王が亡くなって半年も経たないうちに撤廃させるなど、次第に西洋化が推し進められていきます。

 宣教師が来る前のハワイの人々は自然を崇拝し、日本にも共通する八百万の神信仰で、無機物、有機物のすべてのものに神や霊魂が宿るとしたアニミズムのなかで生きていました。しかし一神教を擁するキリスト教は、その自然崇拝が『野蛮で、秩序を破壊するみだらなもの』であるとし、カアフマヌ女王(1825年にはプロテスタントに改宗)を通して、1830年にフラ禁止令を出させたのです。このときにはフラだけでなくサーフィンや他のハワイ文化も禁止されました。

 そしてその後、実に44年間にも渡ってフラは公共の場で踊ることを禁じられました。その復活に一役買ったのが、このメリー・モナーク・フェスティバルの名前の由来となった第7代国王、38歳のデビッド・カラーカウアでした。1874年に王になってすぐに、このフラやサーフィンなどのハワイ文化禁止の令を撤廃し、音楽家としても優れた才能をもったカラーカウア王は、ロイヤル・ハワイアンバンドを編成し、たくさんのフラ音楽を作詞・作曲しています。そのなかでも「ハワイ・ポノイ」という曲はハワイの国歌となり、現在でもハワイ州の州歌として受け継がれています。

 そして前代未聞であった9ヶ月9日間の長期の世界一周旅行を成し遂げます。日本への初訪問では、日本にとっても現職外国元首の初来日として大歓迎され、明治天皇にも謁見しています。しかもニューヨークで発明家のエジソンにも会ったという記録も残っており、いかに柔軟で、新しいもの好きで楽しいことが大好きな王であったかが分かります。

 そうしたなかで、メリー・モナーク(陽気な君主)と呼ばれるようになり、フラの再興・発展に尽くした王として、メリー・モナーク・フェスティバルの由来となりました。

 このようにハワイ文化の衰退に大きな危機感を抱いていたいたカラーカウア王はそれまで口承で王にだけ伝えられてきた、一子相伝の創世神話『クムリポ』をハワイ王朝の王の中で初めてハワイ語で著し公開しました。それはなんと、崩御前年の1889年のこと。

 華やかなカラーカウア王は、メリー・モナークと呼ばれ未だに人々に愛されていますが、統治中は列強による内部干渉や、アメリカ系財閥や合衆国政府による嫌がらせに近い政治圧力、例えば無理やり改正させられたベイオネット憲法(ベイオネットは銃剣。銃剣で恫喝されてできた憲法)などによりアルコール依存症に陥ってしまいます。その静養のために訪れていたサンフランシスコで客死しますが、未だに暗殺説が囁かれています。陽気な君主として名を馳せたカラーカウア王は、人知れず苦悩に満ちた人生だったのです。しかし、だからこそ彼の作る作品は誇り高く、皆を励ます愛に溢れ、今でも我々を鼓舞し続けるのです。

 パレードを見ていると、カラーカウア王の言葉が思い出されます。

"Hula is the language of the heart, therefore the heartbeat of the Hawaiian people" - King David Kalakaua

「フラは、心の発露である言葉である。すなわち、フラはハワイ国民にとっての心臓の鼓動そのものなのである。」

 歴史に“もし”は禁物ですが、もしカラーカウア王がいなかったら? フラやサーフィンが、ハワイで禁止されたままだったら? もしそうだったとしたら、ハワイの人々はアロハ精神をどこで培えたでしょうか。一国の文化と歴史、そして国民性が三つ巴になり、密接に絡みついていると後世の私たちが感じられるのは、この歴史上のターニングポイントを考えるときです。

 記事中でカアフマヌ女王による伝統制度の撤廃によるハワイ文化に不穏な影、と記しましたが、後世から見ての歴史記述には本当に難しいものがあります。『カプ』制度の撤廃はハワイ文化を根底から覆すものでしたが、そもそも『カプ』とは男女が一緒に食事をしてはならない(したら死刑)、とか、もし女性が男性の食事処へ入ってはならない(したら死刑)、そして女性は豚肉やバナナ、椰子の実を食べてはならない(食べたら死刑)などの恐怖政治のような禁令制度であったわけです。そのためハワイを訪れる西洋人との交流を通じて、西洋文化に感化されたカアフマヌ女王が「この制度はおかしい!制度を撤廃しても祟られない!」と声を上げ、先陣を切って自らカプを破った行為は、ジェンダーの歴史から見たら先駆者であり、ハワイ文化保全保守派からすれば、文化の破壊者でしょう。

 それでもカプは撤廃され、フラは復興され、今日のメリー・モナーク・フェスティバルがあります。

 キャプテン・クックがハワイにハワイに上陸する前、約30万人が住んでいたとされるハワイアン人口は、メリーモナークなカラカウアが王になった1874年には6分の1である約5万人にまで激減していました。植民地化が進められ、かつ、世界中の捕鯨船がハワイを中継地点として寄航したことにより、ありとあらゆる伝染病が島内で大流行してしまいました。それで耐性も免疫もなかったハワイアンたちはバタバタと倒れていってしまったのです。

 そして現在。150年経ち、フラ人口は日本だけでも200万人といわれています。5万人まで減ってしまったハワイアンたちから、どんな艱難辛苦にあっても脈々と語り継がれてきたフラ。

 メリー・モナーク・フェスティバルのパレードを見ながら、フラの踊りや歌詞の意味、このようなカアフマヌ女王の歴史に思いを馳せていると200年前の女性たちを同志として地続きに感じられます。ぜひ次回は皆さまも、メリー・モナーク・フェスティバルに参加してみてください。しかも来年は第60回という記念すべき節目の年になります。2023年は4月12日(水)《クラフトフェアなどは4月10日(月)から》から開催される予定です。

 次回は5月12日(木)にハワイ島の海塩施設へ潜入取材してきますので、お楽しみに!

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