【学ぶハワイ】ハワイのコーヒーの歴史

2020.09.30

明日から10月ですね!
今年も早いもので、残り3か月程となりました!
だんだんと秋めいてきて、特に朝晩は涼しい気候になってきましたね。

さて、10月1日は「コーヒーの日」ということをご存知でしたか?
ハワイの定番のお土産としても大人気のハワイのコーヒー。
日本でもハワイ気分を味わいたい時にも飲みたくなる、香り豊かなハワイのコーヒーの歴史を学んでみましょう!

ハワイの名産品のひとつ

高品質のうえ生産量が少ないため希少性が高く、世界指折りの高級グルメコーヒーとして愛されているコナコーヒー。
今やハワイを代表する名産品の一つであり、ハワイを訪れる人々にはお馴染みの味となっています!

砂糖きびやパイナップル産業など、かつてハワイ経済の中核を成していた産業が衰退していった一方で、コナコーヒーは今日まで生き延び、発展を続けてきました。

ハワイに初めてコーヒーがもたらされたのは、ハワイ王国時代の1825年。
王族でオアフ島総督だったボキが、カメハメハ2世夫妻のイギリス訪問に追随した帰路、ブラジルからコーヒーの苗を持ち帰ったのが始まりでした。

コーヒー農園の歴史

ハワイのコーヒー産業を支えてきたのは、初期にはハワイアン労働者、次いで各国からの移民たち。
まずは中国系、ポルトガル系の移民でした。
しかし、1900年以降、コナのコーヒー栽培を担っていたのは、ほとんどが日系移民だったのです。

日系移民は、身を粉にして働き、コーヒー作りを諦めてコナを離れた人が多くなっても、貧しい生活の中で良質のコーヒーを作り続けてきました。
つまり、日系移民こそがコナコーヒー産業を支え続けた主力グループ!
その証しに、今もハワイのコーヒー農園では、コーヒー豆を精製する作業場をクリバ、豆の乾燥棚をホシダナと呼ぶなど、随所で日本語の名称が使われています。

当時のコナコーヒーは無名で、品質は良かったけれど格安で取引されていました。
コーヒーを作っていたのは移民ばかりだったので、販売促進の術もなく、コーヒーを安く売るのが精一杯・・・。
しかもコーヒー豆はひと粒ひと粒、手で収穫しなければならないなど、コーヒー栽培は機械化も難しいという現実がありました。

かつて砂糖きびやパイナップル産業がハワイで衰退したのに対し、コナコーヒーが生き残った理由の一つには、コナコーヒーが大農場制ではなく、慎ましい家族経営の個人農園で作られていたことが理由の一つなのです。

特に1929年以降は日系移民にとって苦しい生活が続きましたが、勤勉な日系移民は創意工夫しながら、懸命に働きました。
価格は低くともコナコーヒーの未来を信じて、決してコーヒーを見捨てなかったのです。

そんな日系移民の勤勉さとひたむきな努力がその後、花開き、今やコナコーヒーは、世界でも指折りのプレミアムコーヒーに成長したのです!

最後に、コナコーヒー農園がハワイにとってどのような存在であり、どのような歴史をたどって来たか、動画でご紹介します。

コナコーヒー農園の歴史

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