Hawaiian Music History

ハワイアンミュージックヒストリー

ハワイにおける音楽は、華美なモザイク画のように鮮やかな歴史に彩られています。

1000年前の地味で簡素な口承伝統の詠唱から始まったハワイの音楽が、
グラミー賞受賞に輝く現代の音楽へとつながっています。ハワイの人々は楽器ともども、
テクノロジーの進化と異文化に影響を受け続けてきましたが、
彼らの音楽は島社会に深く根ざしたハワイアン・ミュージックであり続けています。

成長を続けるハワイ音楽は、海を越えて海外にも広がりました。

ハワイアン・ミュージックとは?

この問への答えは想像以上に複雑です。また誰に問いかけるかによって答えはいろいろでしょう。ハワイ語で歌われ、スラックキー・ギターやウクレレの演奏あってこそハワイアン・ミュージックだ、と考える者がいれば、何語で歌われようとハワイのことが歌われていればハワイアン・ミュージックだと言う者もいます。

例を挙げると、ハワイ語によるチャント、ロイヤル・ハワイアン・バンド、ハパ・ハオレ・ミュージックなどの古いハワイアン・ミュージックに対して、ブラザーズ・カジメロやケアリイ・レイシェル、そしてオクラ・ザ・モックなどのアイランド・レゲエ(ジャワイアン)バンドは新時代のハワイアン・ミュージックです。

ネイティブ・ハワイアンの音楽 初期

およそ1000年前にハワイに定住しはじめたネイティブ・ハワイアンは、初期から踊りをしたがうチャントという形で音楽の文化を持っていました。

チャント(詠唱)
ネイティブ・ハワイアンは「語り物」の達人です。彼らは波乗りの詩を詠い、キラウエア火山の噴火にまつわる恋愛物語の伝説を詠います。文字を持たなかったハワイアンは、口承文化を発達させました。詠唱は娯楽であると同時に、系譜・神話・自然環境について地域社会を教育する手段として機能しました。歌者(チャンター)は何世紀にも渡って伝え継がれた、おびただしい語数の物語を参考文献なしに寸分違わず再現することができました。(19世紀初頭、宣教師と印刷技術の到来によって状況は変わります。

フラ
ハワイアン・ミュージックは常にフラとともにあります。ハワイの人々・大地の遺産を詠うメレ(ハワイの歌)に合わせて踊られるフラのステップ、手足の動きのひとつひとつに意味があります。

ハワイ音楽の楽器

土着の楽器

パフ・フラ
ハワイ語で「フラ・ドラム」のことです。木の幹とサメの皮で作られた、フラを踊るときに使う太鼓です。

プニウ
小型の太鼓で、フラダンサーが腿に結びつけて叩きます。

イプ
瓢箪を乾燥させて作られた、フラダンサーとチャンターが使う打楽器です。

パフパフ
いろいろな長さの竹で作ったパイプ状の打楽器です。筒の片方を地面に叩き鳴らします。

オヘ・ハノ・イフ
竹の笛で、鼻からの息で吹き鳴らします。ハワイアンにとってロマンチックな音とされ、恋愛対象を誘うために演奏されました。

1778年(西洋人到来)以降の楽器

ギター
1800年代前半にハワイに伝来しました。カメハメハ三世が増え過ぎた畜牛の管理のために呼び寄せたメキシカンとスパニッシュが持ち込み、ハワイ音楽の一部となりました。彼らは母国に帰る際にギターを置き土産として残しました。ハワイのパニオロ(カウボーイ)は、ネイティブ音楽に合わせた音色を奏でる奏法を独自に編み出し、それが現在スラック・キー・ギターとして国際的に知られるようになりました。スチールギターもこの流れで生まれました。

ウクレレ
「飛び跳ねるノミ」という意味の名前を持つ楽器のルーツは、1880年代にポルトガル移民が持ち込んだ4弦の弦楽器。現代までにソロ楽器として発達しました。

西洋の影響:ハワイ音楽の変容

1778年にキャプテン・クックがハワイ島に上陸して以来、何百人もの宣教師、貿易商、移民、実業家たちが後に続き、ハワイ音楽の音色に影響を与えることになりました。

ヒメニ
ニューイングランドから渡った長老教会派が1820年代にハワイに入植すると、ハワイ語でヒメニ(Hīmeni)と呼ばれた「ヒム hymns(賛美歌)」が島の音楽に影響を及ぼすようになりました。賛美歌をハワイに広めた人としてもっとも知られるのが、ハイラム・ビンガム牧師です。彼は聖歌学校を設立して賛美歌の唱歌集を出版しました。後に優秀な翻訳家・詩家であったロレンゾ・ライオンズが彼の役割を引き継ぎました。

オーケストラ
1872年にドイツからホノルルに移住した音楽家・楽団指揮者・作曲家のヘインリッチ・”ヘンリー”・バーガーがハワイ音楽の変容に与えた影響は大きかったです。西洋文化との接触以降、賛美歌の影響色濃かったハワイ音楽は、彼の出現により世俗音楽の形を取り入れたものへと変貌していきました。
バーガーをハワイへ呼び寄せたのは、ハワイ王国楽隊「ロイヤル・ハワイアン・バンド」を指揮することを希望したカメハメハ5世でした。要請にこたえ、バーガーはハワイで多くの楽曲を作り、楽隊を管理しました。

ハワイアン・ミュージック・レコーディング
20世紀に入ってハワイの音楽が商業的に録音されるようになると、その独特のサウンドは海を渡りメインストリームの音楽として人気を博すに至りました。米国のレコード会社が最初に録音したのは『アロハ・オエ』『ハワイ・ポノイ』『トミ・トミ』などの楽曲でした。1935年から1946年には「ハワイ・コールズ」というラジオ番組がモアナ・ホテルから世界へハワイ音楽を広めました。その波はニューヨークまで届き、ティン・パン・アレイの作曲家・音楽家たちに多大な影響を及ぼしました。

ハパ・ハオレ
1915年から40年間に渡って人気を博したメロディアスな音楽スタイル。ハワイ語で「ハワイアンと白人の混血」を意味します。音楽用語としては、英語の歌にハワイ語が散りばめられた曲を指します。ハワイについて歌うこれらの曲は、ロマンチックでノスタルジック、ときにコミカルであるという特徴を持ちます。ハパ・ハオレのコンポーザーとして著名なのは、サニー・カンハ、ヘンリー・カイリマイ、ジョニー・ノーブルです。

ハワイ音楽の衰え

1959年にハワイが米国50番目の州になりました。これを機会にハワイ全島で多くのことが変化したが音楽シーンも同様でした。

1960ー1970
カマアイナ(ハワイ・ローカル)はトラディショナル・ハワイアン・ミュージックへの興味を失い、ハパ・ハオレを安っぽい観光客向けの音楽として扱うようになります。代わりにポップ&ロックに傾倒しはじめ、地元ラジオ局はその流行に合わせました。この時代、ラジオでのハワイアン・ソングのエアタイムは全体の5%にまで落ち込みました。ハワイ若年層の人気を得たのはトップ40をかけるポイ・ボーイズのK-POI(1380)でした。ローカルの人気を博したアーティストはドン・ホー、マーティン・デニー、クイ・リーです。

ハワイアン・ルネッサンスの音楽への影響

文化的アイデンティティと伝統ハワイの価値観に対する興味が、トラディショナル・ハワイアン・ミュージックを創造し楽しもうという眠れる望みを活性化した時代。

1970−1980
1960年代に高まった本土の社会不安がハワイの島々にも派生しました。土地開発に対する抗議運動が爆発し、多くのハワイアンが自らの歴史・文化・アイデンティティを「再発見」しました。音楽で変革をリードしたのは、ギャビー・パヒヌイ、サンズ・オブ・ハワイ、サンデー・マノアなどでした。
ハワイ文化が活気づいたことで、ラジオでのトラディショナル・ハワイアン・ミュージックの放送時間とレコード売上が拡大しました。人気を博したアーティストとしてセシリオ&カポノ、カラパナ、レッドワード・カアパナが挙げられます。

コンテンポラリー・ハワイアンの黄金時代

1970年代前半のハワイアン・ルネッサンスがコンテンポラリー・ハワイアン・ミュージック黄金時代の基礎を築きました。傑出したアーティストが、ローカル・レーベルのプロデュースのもと、質の高い音楽を生み出しました。多くのハワイアン・ミュージシャンが国際的に知名度を高めたこの時代に、フラが世界的に注目を集めていました。

ハワイアン・ラジオ・ステーション
ローカル・ラジオ局がコンテンポラリー・ハワイアン・ミュージックを熱心にかけるようになりました。KCCNとKKUAではミュージシャンによるスタジオ生演奏も放送されました。

レコード・レーベル
ローカル・レーベルが才能あるハワイのコンテンポラリー・ミュージシャンをプロデュースし世に送り出しました。例として、ポキ・レコード、パラダイス、ブルーウォーター、トロピカル・ミュージック、ダンシング・キャット、そして今も高い人気を誇るマウンテン・アップル・カンパニーが挙げられます。

コンサート
DJ、レコード・レーベル・オーナーで「アンクル・トム」と呼ばれたトム・モファットは、本土のアーティストをハワイに呼ぶプロモーターとして活躍しましたが、同時にローカル・アーティストのプロモートにも余念がありませんでした。一例として、セシリオ&カポノ、カラパナ、再結成フイ・オハナなどが挙げられます。影響力の強いアーティストとして、イズラエル・カマカヴィヴォオレ、ケアリイ・レイシェル、ウィリー・K、カアウ・クレーター・ボーイズ、ハパ、ハワイアン・スタイル・バンドが挙げられます。

今日のハワイ音楽

島の音楽は進化を続ける。次々に生まれる新しいアーティストは皆、歴史あるハワイの豊かな文化から取り入れたものを、「カニ・カ・ピラ」とアロハの州民がいう「音楽をプレイすること」に注いできました。

ハワイ・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツとナ・ホク・ハノハノ・アウォード
1982年に設立されたハワイ・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツは、ハワイ版グラミー賞「ナ・ホク・ハノハノ・アウォード」の主催としてその存在を広く知られています。(ナ・ホクはKCCNのラジオPRを目的にDJクラッシュ・ケアロハによって1977年に最初に開催されました。)

ネオ・トラディショナル・アーティスト
ハワイアン・ミュージックが言語を中心にしていることは、今日のトラディショナル・ミュージシャンたちにとっても変わらない事実です。古代のチャント、古いラブソング、彼ら自身の伝統が影響を及ぼしています。特筆すべきアーティストとして、カラニ・ペア、クアナ・トレス・カヘレ、カウマカイヴァ・カナカオレ、クパオアが挙げられます。

アイランド・レゲエ
ジャワイアンとも呼ばれるアイランド・レゲエは、ジャマイカとハワイの融合です。1980年代中頃に人気に火がつきました。ハパ・ハオレ・ミュージックの現代版ともいえるスタイルは、ダンサブルなビートとアイランド・ライフを伝えるキャッチーな歌詞によって作られ、今も人気です。草分け的アーティストとして、ウォルター・アイポラニ、ナ・ワイ・ホオルウ・オ・ケ・アヌエヌエ、マナオ・カンパニー、ホアイカネ、ショーン・ナアウアオが挙げられます。

今日のハワイの音楽
ソングライター、ミュージシャンともに多くのアーティストが独自のスタイルを持ちます。すべてのアーティストを規定のジャンルに収めることはできません。ウクレレ名手ジェイク・シマブクロによってソロ楽器として脚光を浴びたウクレレが、次世代のアーティスト、タイマネや15才のエイドリアン・ジェイムスなどによって演奏されます。フォーク・ロック&アコースティック・シンガーのジャック・ジョンソンは、2001年にデビューして、ハワイ、そして世界のハートを掴みました。その他、ザ・グリーン、アヌヘア、キミエ・マイナー、ポーラ・フガ、マイク・ラブなどのアイランド・アーティスト/バンドが、明るく元気だったり社会的だったりする魅力的な楽曲で、ジャンルに捕らわれない活躍をしています。