サポート ・ 寄付

ミッション

https://d2znjoo7p8l5rk.cloudfront.net/photo_zoom/news/4508/20111311290216143.jpg

航海を通じて、人々が自分自身を、お互いを、そして、自然やそこに根付く文化に敬意を持ち、思いやる心を育み、この地球がより持続的で暮らしやすい場所になるきっかけ作りに努めています。

伝統航海術の芸術と科学、そして探求する心を継承し、体験型の教育プログラムを通して、自然、文化に敬意をはらい、互いにいたわり合う大切さを次世代に伝えることを使命としています。

ビジョン

https://d2znjoo7p8l5rk.cloudfront.net/photo_zoom/news/4508/20111311273410700.jpg
“Hawai‘i, our special island home, is a place where the land and sea are cared for, and people and communities are healthy and safe.”

ハワイという特別な島は、私たちにとっての故郷であり、大地と海が守られ、人々が健やかに安心して暮らせる場所です。私たちは自然の力だけを使った伝統航海を通じて、地球という”島”への敬意やいたわりの心を育み、分かち合い、学び合い、グローバルな関係を築くことで、自然と調和のとれた持続可能な世界の実現を目指しています。”

基本理念

Mālama(マラマ):思いやり、いたわり
Aloha(アロハ):愛
‘Imi ‘Ike(イミ・イケ):知恵の探求
Lokomaika‘i(ロコマイカイ):分かち合い
Na’au Pono(ナアウ・ポノ):調和の心
Olakino Maika‘i(オラキノ・マイカイ):健やかさ

クルー・関係者からのメッセージ

伝統航海カヌー「ホクレア」「ヒキアナリア」は現在、世界46カ国、全345カ所をめぐりながら、太平洋を一周する環太平洋航海を計画しています。北米アラスカから、アメリカ大陸沿岸、タヒチ、ニュージーランド、太平洋諸島、さらに北上して日本へも寄港する計画です。約3年半に渡るこの環太平洋航海を通じて、地球という「カヌー」の舵を握る「航海師」である、私たちひとりひとり、世界各地のコミュニティ、そして次世代リーダーたちのグローバルネットワークを築き、自然との調和がとれた持続的な次世代社会の実現を目指します。

ご支援の使い道

ポリネシア航海協会は米国政府認定の非営利団体で、伝統航海カヌーの修繕作業や教育プログラムの実施などは、すべて数多くのボランティアの力と皆さまからの寄付金によって運営されています。皆さまからの寄付金は、次の環太平洋航海をより安全に実現し、世界中にメッセージを発信するために使わせて頂きます。ご協力を何卒よろしくお願いいたします。

日本人クルー紹介: 荒木汰久治 氏 Vol. 02

荒木汰久治(あらきたくじ)氏 47才 プロフィール

Kanaka沖縄 主宰

世界一過酷と言われる海峡横断パドルレース”モロカイチャレンジ(通称M2O)”にサーフスキー、カヌー、プローンパドルボード、SUP、Foilとこれまで計35回、日本人としては最多出場を誇るオーシャンアスリート。国内では1998年(当時24才)ライフセービング全日本選手権優勝から数多くの成績を残し、2015年全日本SUP選手権を(41才/史上最年長記録)で優勝した。2007年、33才のとき初めてホクレア号ハワイー日本航海プロジェクトに参加。途中パラオで乗船し最終目的地の横浜までの約三ヶ月間航海した。現在は、大自然に囲まれた沖縄本島北部やんばるの海岸で子育てに奮闘中。長男・珠里(中学3年生)のトレーニングパートナーを努めると同時に、この夏日本初の海峡縦断レースO2Yを主宰する。
Kanaka沖縄 公式サイト / Kanaka沖縄 Facebook / Kanaka沖縄 Instagram /
荒木汰久治 Facebook

ホクレアと日本の海

日本という国は縦社会で、スポーツ界もそうなんですね。若い時からライフガードをやっていましたが、ボード上では正座をして漕ぐ決まりがあります。一度、立ってサーフィンをしたら、先輩にぶん殴られたことがありました。ハワイのライフガードは立っても何してもいいのに、日本だと不届き者として扱われる。さらに、海で遊ぶ人達は、サーファー、ライフガード、パドラーというグループに半強制的に分かれてしまっていて、横に繋がることが難しい雰囲気がありました。

でも、ホクレアが鎌倉に来た時に、普段だったら集まらないサーファー、ライフガード、パドラーのみんなが来てくれたのです。その時に僕が、「ホクレアのカタマラン(二つの船体)の下を潜って海中からホクレアを見上げたらすごくきれいですよ」と伝えたら、みんなが次々にそうして…。そして、ホクレアの下を通り抜けて反対側に出た時に、みんなが輪になって集まっていたんです。みんなが感動していることが分かりました。その時に僕は今までバラバラだったものが、一つに繋がった気がしたのです。

写真:ホクレア七里ヶ浜沖(写真:琢磨仁)

もう一つ、ハワイそしてホクレアが日本に残してくれた大切なことがあります。それが「ウォーターマン」という文化です。モロカイ・チャレンジでチャンピオンになるためにはサーフィンやパドル、セーリングなどいろいろな競技をクロスオーバーしながら外洋でトレーニングすることが必要になります。そうすることで潮流や風向き、自然環境の変化を常に感じ取れるようになります。でも以前の日本では、トレーニングのために岸から遠く離れたとこまで行くと、「危険だ!」と言われたり、「サメが出たらどうするんだ!」と注意されていました。でも、サメは普通にいますし、怖いけれど練習しないと強くなれないし….、そういうことをなかなか理解してもらえませんでした。ハワイのレースでは、鯨の上に乗っかってしまったこともあるし、クジラに跳ね飛ばされて骨折した人もいます。そういう世界つまり人間の領域ではない海の世界が存在していて、それを理解して闘っている、それがハワイのウォーターマンの世界なのです。

ホクレアが鎌倉に来たことで、日本の海の社会で何かが大きく変わり始めまたように感じました。ウォーターマンという言葉を理解する人が増えました。今の後輩達は恵まれていると思います。昔は、「危険だからやめろ!」と言われてたことができるようになり、人間の領域ではない海でトレーニングをすることができるようになりました。僕は、これこそホクレアが日本に持ってきてくれた文化だと思っています。

写真:ホクレア沖縄に到着

日本人クルー紹介: 荒木汰久治 氏 Vol. 03

荒木汰久治(あらきたくじ)氏 47才 プロフィール

Kanaka沖縄 主宰

世界一過酷と言われる海峡横断パドルレース”モロカイチャレンジ(通称M2O)”にサーフスキー、カヌー、プローンパドルボード、SUP、Foilとこれまで計35回、日本人としては最多出場を誇るオーシャンアスリート。国内では1998年(当時24才)ライフセービング全日本選手権優勝から数多くの成績を残し、2015年全日本SUP選手権を(41才/史上最年長記録)で優勝した。2007年、33才のとき初めてホクレアのハワイー日本航海プロジェクトに参加。途中パラオで乗船し最終目的地の横浜までの約三ヶ月間航海した。現在は、大自然に囲まれた沖縄本島北部やんばるの海岸で子育てに奮闘中。長男・珠里(中学3年生)のトレーニングパートナーを努めると同時に、この夏日本初の海峡縦断レースO2Yを主宰する。
Kanaka沖縄 公式サイト / Kanaka沖縄 Facebook / Kanaka沖縄 Instagram /
荒木汰久治 Facebook

ホクレアから受け継ぐウォーターマン精神

「子育て」かなと思います。もちろん、我が子もそうだけど、人の子にも同じように大切なことを伝えていくということ。そして、海と共に暮らすことでしょうか。先ほどいったカプナケイキ(Kapu Na Keiki)というホクレアの教育プログラムでは、ハワイ島までこどもたちと航海をして、その後コアの原生林の山に登って植樹をしたりしました。そこで航海術師のナイノア・トンプソン氏が子供たちになぜカヌーを作れるくらいの大きなコアの木がハワイにもう存在しないのか話をしたり、ハワイアンの人たちの土地の権利がよそから来た人たちによって奪われていった歴史について伝える姿を目にしました。また、失われかけた伝統航海術やカヌー文化を復活させようとするホクレアの歴史やホクレアがハワイの人たちに生きる力を与えてきたことに非常に心動かされました。僕はホクレアのクルーみなが大切なことを残そう、または、取り戻そうという共通の価値観を持っていることに触れ、「自分もこういう生き方をしよう」と強く思ったんです。それがホクレアに関わった上での一番の収穫だったと思うんです。

写真:沖縄の自宅前の海で

そして、地に足をついた生活をしようと選んだ地がここ沖縄です。僕は父の仕事の関係で転校生として3年以上同じ場所に住んだことがなかったんです。だから故郷はどこですか、と言われてもずっと答えられなかった。でもいまは沖縄に住んで20年になるので、沖縄がいってみれば僕にとっての初めての故郷、子育ての場所となりました。ただ、ご先祖が眠るお墓は熊本なので毎年夏休みには家族を連れてお墓参りにいっています。そして、自分が死んだら、お骨になったら熊本に帰るということを大事にしています。ただ、死ぬ瞬間まで生きる場所は沖縄だと思っています。


写真:自宅裏のカジュマルの御神木(写真:BLADE編集部)


写真:畑で娘と一緒に(写真:BLADE編集部)

この間祖母がなくなり、その5年前には祖父が亡くなりました。その時にお骨の一部を家の目の前の海に散骨しました。それも天気のいい日に子供たちと一緒にサーフィンをしながら。そうすると、この海にも祖父が眠っているとみんな実感することができるんです。お墓は熊本にあっても、祖先はこの沖縄の海にも眠っているし、しいては、海はすべてつながっているので、どの海にいてもご先祖とのつながりを感じることができるんです。もちろん、自分が死んだら僕のお骨の一部もこの沖縄の海に眠ります。

僕の息子は海で何度か大波にまかれて溺れかけたり、サメに何度も遭遇したりという経験をしているんですが、そいういう時に心のよりどころが海にあるというのはとても大切なんです。息子がはじめてモロカイレースにでたときも、モロカイ島からオアフ島をみながら、「ここにもじいちゃんいるから大丈夫だよ」っていってたんですよ。それはものすごい心の支えだとおもうんですよね。

まだ僕には先ほどもお話したカプナケイキというホクレアの教育プログラムみたいな大きなことはできませんが、まずここ沖縄で自分の家族と自分の家族の仲間たちと、この海で遊びながら、子供を育てていく。それが今の自分にできることだと思っています。

そしてこの沖縄の海でトレーニングして、ハワイで勝負する。20年前は絶対に無理といわれていたモロカイ・チャレンジの日本人の入賞・優勝ですが、いま息子がそこにとても近い場所にいる。僕はもう年齢的にも厳しいと思うんですが、息子に夢を託して、息子と一緒にモロカイでチャンピオンになることを目指しています。

もし来年息子が16歳で表彰台に立つことができたら、きっとその時は「この日本人は何者で、どんなトレーニングをしてきたのか」って世界中のアスリートが知りたくなると思うんです。その時に、ホクレアで学んだこと、ハワイの人たちから学んできたことのおかげで沖縄での暮らしや「子育て」があり、そしてその成果としての結果であることを感謝の気持ちをもって伝えたいんです。

それが1998年に聞かれた「お前ならいけるか」「ウォーターマンとしての本当の強さとは」の僕なりの現在進行中の模索とその答えなのかなと思っています。そしていつか自信をもって「おかげでここまで成長・強くなることができました」といえるように、ハワイの人から教えてもらった大切なこと、そして恩を次の世代に繋いでいきたいとおもっています。そして、それがハワイの人たちに恩を返すことだと思っています。

いま日本には僕の息子の背中を追って頑張っている子供たちがたくさんいます。息子がいろんな大会で優勝をしたりすることで「同じ沖縄に住んでいるからこういう練習させてたいな」と共感してくれたり、「これまでは危ないと言われてきたことでもやってみようかな」という親御さんたちも増えてきています。そういう意味では日本人のウォーターマンが増えてきているのだと思います。またそういう「海の子育てをしたい」親が増えていくこと。それが今の一番の自分の生きがいです。

サポート情報 一覧